第787回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第786話 海軍兵学校 呉の市電の事。 2014年4月18日 金曜日の投稿です。
【 戦前の入船山にあった、呉の水交社の建物 】
呉の入船山の庭先で、私達は整列しまして、 番号を叫んだ後、点呼を行いまして、
監事附の曹長や、 監事殿に、制服検査を受けた後、 外出することになったのです。
さてさて、 ため息が出るほど、当時の制服検査というのは、厳しく、 因縁をつけているような
検査でありまして、 一人に不備がありますと、 分隊全員が連帯責任で、15分事に、再検査
となるわけでして、 下手をすると、 延々、2時間程度かかることもあり、 みんな、そのよう
な事がないように、 服装、軍帽を整えまして、 制服検査にのぞんだのでありました。
当日は、どういうわけか、 私達をはじめ、全員すんなり服装検査をなんなく
終わらせまして、 水交社を後にして、 入船山を下りまして、呉の市街地に
向けて、西に進んでいったのです。
監事殿から、 2時間という、自由時間をいただいて、喜んで、外出したのです。
実に、考えて見ますと、8月以来、4ヶ月ぶりの娑婆【しゃば】でありまして、
私達は、喜び勇んで、市中に繰り出したのです。
東京都出身の今川 福男生徒が、 「あのさ、 郵便局どこにあるのか知らないか。」
と、私に聞くので、「 郵便局なんか、なにすんねん。」と聞くと、 彼は、「手紙を出し
たい。」と言うわけです。
海軍兵学校から、手紙を出しますと、 手紙の中を検閲と言って、 読まれて、
朱色で、消されて、 やり直しとかさせられまして、 本当の事が書けない訳です。
今川 福男 生徒は、 今日なら、検閲もないし、 好きな本当の事が手紙に書ける
と、こう言う意味合いで、郵便局を探しているようでした。
【 大正時代の呉の市街地の様子。】
すると、 井上 武男生徒も、「 淵田生徒、 自分も手紙を書きに行きたいダッペ。」
と言うので、 それを聞いていた、 福元 義則生徒は、 「 そいでは、みんなで、
郵便局にいくでもんす。」と、言うので、私達は郵便局を捜していくことになったのです。
呉の町から消えてしまいましたが、 当時は、 路面電車が走っていまして、
市民の足だったのですが、以前紹介したように、 物価が上昇し、 どんどと
不景気となり、 市民は、一部を除いて、みんな徒歩で歩いているのが、実状でした。
【次回に続く。】