第790回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第789話 海軍兵学校 山本信次郎海軍大佐の事。 2014年4月21日 月曜日の投稿です。
大正10年12月3日の土曜日、楽しい、楽しい、娑婆【 しゃば 兵学校の外の事を当時
生徒達は、しゃばと呼んでいた。】での自由時間はあっという間に過ぎてしまい。
集合時間に遅刻する生徒もおらず、 私達は、呉鎮守府内の船乗り場に到着し、整列したので
ありました。
名前は失念したのですが、 海軍大尉殿が、 兵学校に1700時前までに、帰って、ランチの
片付けを終えて、大講堂にて、1800時より、 行事があると私達に通達があったのです。
その時、どのような行事か、教えてくれない物ですから、私達は、いよいよ出来の悪い
生徒を軍縮で整理するお話ではないかと、ずいぶんと心配したのです。
18時前に、 食事と、入浴を済ませないといけないので、、速くしないとあかんわけでして、
私達の生徒一行は、 大きな艦艇の停泊する、呉湾を出発して、 吉浦沖を西に、西にと
ランチを進めたのです。
行きは、潮の流れが良かったので、スイスイ進んだのですが、帰りは逆でして、ずいぶん
しんどい思いをしました。 こいでもこいでも、潮での流れで進まないわけです。
私達は、なんとか、江田内の兵学校に戻りまして、 少し早めの夕食をあっという間に
平らげまして、 急いでバス【 お風呂のこと】に入りまして、 1日の疲れを落としたのです。
後任の井上 武男生徒が、「 淵田生徒、 1800時からの行事言うたら、なにをするん
だっぺ。」と、聞く物ですから、「 わてにも、わかりませんがな。」と、 ぎゅうぎゅう詰め
首まで深さのあるバスに入りながら、 何の行事か、 みんなで噂話に花が咲いていた
のです。
しばらくしまして、 井上 武男 生徒と同郷の、有泉 龍之介2号生徒 【のちの
海軍大佐】が、 「 貴様ら 速くしろ、 山本 信次郎 海軍大佐殿の講演が
あるらしい。」と、言われる物ですから、 私達は、急いで、 大講堂に分隊で
右手を肩まであげながら、行進したのでありました。
山本 信次郎 海軍大佐 【 海兵26期卒 海軍大学7期卒 のちの海軍少将
神奈川県出身】 は、 フランス語が堪能で、 摂政、 皇太子の東宮殿下の御附
武官を務めていた人で、 この9月まで、 東宮殿下と、西洋を歴訪されていた人で
有名な、,熱心なカトリック信者でもあった海軍大佐殿でした。
私達、出来の悪い生徒を首にする話ではなく、 東宮殿下と西欧諸国を歴訪した
旅行話を私達に紹介してくださるという、そういう講演であったようで、一同、
楽しみにして、大講堂に吸い込まれていったのでした。
【次回に続く。】