第791回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第790話   海軍兵学校 東宮殿下西欧歴訪報告会の事。  2014年4月22日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
  大正10年12月3日 土曜日の夕方1800時から、海軍兵学校の大講堂にて、東宮裕仁
 
 殿下御用掛 だった、 山本 信次郎 海軍大佐殿のお話があったのでした。
 
 
 
 
 
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 東宮 裕仁殿下 とは、後の昭和天皇になる人で、 当時は、11月中旬より、摂政殿下と、
 
私達はお呼びしていたのです。
 
 
 
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                             【  海軍兵学校 大講堂 】
 
 
 
      全員、起立して、敬礼した後、 ザッザッと、音をたてて、 みんな着席して、山本
 
      信次郎 海軍大佐殿のお話に、耳を傾けたのです。
 
 
      当時、海軍兵学校では、 英語、 フランス語、ドイツ語などを、会話できるように
 
      ならないと、卒業出来なかったのです。
 
      そういうわけて、 海軍省内にも、語学の堪能な海軍士官が多くいたのでありますが、
 
      東宮 裕仁殿下の西欧歴訪に、山本信次郎海軍大佐が、御附武官に選ばれたの
 
 
 
 
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      は、なぜかというと、 熱心なカトリック信者で、 当時、戦後の呼び名で、イタリア、
 
      大正時代当時は、 【イタリー】と、呼んでいたのですが、  ここの首都のローマに
 
      ローマ法王がいらっしゃったのですが、 裕仁殿下と、ローマ法王の謁見を実現するのに
 
      無宗教軍人や、その他の仏教徒が行くよりも、すこしでも、心得のある山本信次郎
 
      海軍大佐が、 その任に適任であると、 山本 権兵衛 海軍大将が、考えたようです。
 
 
 
 
 
  
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          山本信次郎海軍大佐殿は、 久々に江田島海軍兵学校に来て、ずいぶん
 
          くつろいだというか、 なんというか、 懐かしいというか、 そんな感じの表情
 
          で、 「  おほん。」 と、1度咳をして、 お話が始まったのでした。
 
          お話は、 延々3時間、21時の消灯時間手前まで、 長話が続いたのですが
 
 
 
 
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 イギリスのテムズ川を上って、 ロンドンに至るお話とか、 裕仁殿下のお供をして、大英博物館
 
 にいって、 珍しい物を見て、裕仁殿下が、写真撮影して歩いたとか、 イギリスのホーッマッス
 
 
 
 
 
 
 
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         軍港を訪れて、大英帝国の大艦隊を見て、 随分感心したとか、 裕仁殿下が、
 
         イギリス海軍将兵に、儀仗を受けて、閲兵して歩いたとか、 いろんなお話を
 
 
 
 
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           お伺いしたのです。
 
           特に、私が興味深かったのは、 訪問した国々の生活習慣、風俗などの
 
           お話でして、 山本信次郎海軍大佐殿は、フランス語に堪能で、 フランスの
 
 
 
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           港でのお話とか、 特に、 「 ほうーーーーっ。」と、私が聞きいったのは
 
 
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          ご婦人方の、日本とは違う、生活態度というか、習慣の違いなどのお話には、
 
         世の中、いろんな人がいる物だと、物珍しく聞きました。
 
 
 
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         弟の高松宮殿下は、 犬をずいぶん大切にされていたのですが、 裕仁殿下が、
 
         高松宮様に、お土産に持って帰る犬を、 自ら捜され、 「 これは、今ひとつである。」
 
         とか、 「 かわいいが、 少し小さすぎる。」とか、 ずいぶん、考えられて、
 
         犬を吟味されたお話とか、みんな、我が事のように、聞き入ったのです。
 
 
 
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            3時間の長話で、 山本信次郎海軍大佐殿も 疲れたのではないかと、
 
 
            推察したのですが、 ご本人も、楽しみながら、私達にお話ししていただいた
 
            ようで、 私の20才の誕生日の日は、 こうして、とっぷりと暮れていったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】