第791回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
殿下御用掛 だった、 山本 信次郎 海軍大佐殿のお話があったのでした。
私達はお呼びしていたのです。
【 海軍兵学校 大講堂 】
全員、起立して、敬礼した後、 ザッザッと、音をたてて、 みんな着席して、山本
信次郎 海軍大佐殿のお話に、耳を傾けたのです。
当時、海軍兵学校では、 英語、 フランス語、ドイツ語などを、会話できるように
ならないと、卒業出来なかったのです。
そういうわけて、 海軍省内にも、語学の堪能な海軍士官が多くいたのでありますが、
は、なぜかというと、 熱心なカトリック信者で、 当時、戦後の呼び名で、イタリア、
大正時代当時は、 【イタリー】と、呼んでいたのですが、 ここの首都のローマに
海軍大佐が、 その任に適任であると、 山本 権兵衛 海軍大将が、考えたようです。
くつろいだというか、 なんというか、 懐かしいというか、 そんな感じの表情
で、 「 おほん。」 と、1度咳をして、 お話が始まったのでした。
お話は、 延々3時間、21時の消灯時間手前まで、 長話が続いたのですが
にいって、 珍しい物を見て、裕仁殿下が、写真撮影して歩いたとか、 イギリスのホーッマッス
お伺いしたのです。
特に、私が興味深かったのは、 訪問した国々の生活習慣、風俗などの
お話でして、 山本信次郎海軍大佐殿は、フランス語に堪能で、 フランスの
港でのお話とか、 特に、 「 ほうーーーーっ。」と、私が聞きいったのは
ご婦人方の、日本とは違う、生活態度というか、習慣の違いなどのお話には、
世の中、いろんな人がいる物だと、物珍しく聞きました。
高松宮様に、お土産に持って帰る犬を、 自ら捜され、 「 これは、今ひとつである。」
とか、 「 かわいいが、 少し小さすぎる。」とか、 ずいぶん、考えられて、
犬を吟味されたお話とか、みんな、我が事のように、聞き入ったのです。
3時間の長話で、 山本信次郎海軍大佐殿も 疲れたのではないかと、
推察したのですが、 ご本人も、楽しみながら、私達にお話ししていただいた
ようで、 私の20才の誕生日の日は、 こうして、とっぷりと暮れていったのでした。
【次回に続く。】