第794回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

第793話  海軍兵学校 赤痢重症生徒の事。   2014年4月25日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
    大正10年12月7日の水曜日の早朝は、朝方、江田島は、霜が降りまして、兵学校の
 
  南側の練兵場は白くなり、 ずいぶんと冷え込んだのです。
 
 
 
 
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    以前紹介しましたが、前の月の11月17日の木曜日に、 となりの第12分隊で2名の
 
   生徒が、 食中毒のような症状で、倒れて、海軍兵学校の医務室に担ぎ込まれ、 腸チフス
 
   ではないかと、大騒ぎになった出来事は紹介したのですが、 この日、第12分隊の大瀧
 
   健夫生徒の症状が一向に良くならず、 熱が続き、食欲が衰え、衰弱して、 このままでは
 
   死に至ると言う事が、兵学校の軍医長 田中 筠彦 軍医大佐殿から、 教頭の 丹生 
 
   猛彦 海軍大佐殿に、報告が上がったのです。
 
   赤痢というのは、 当時、伝染病扱いでして、2人とも隔離されていたのですが、校長の
 
   千坂 智次郎海軍中将の命令で、 呉鎮守府海軍病院に隔離して、 治療することになった
 
   のです。
 
 
 
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       そして、2日後の12月9日の金曜日には、 江口 英二生徒も、 呉の病院に
 
       運ばれていったのでした。
 
 
       おそらく、2人は、兵学校の外で、何かを食べたか、飲んだかしたのであろうと、
 
       推測されたのです。
 
       当時、水道という物は無く、 雨といの水を、桶にためて、飲料水にする天水や、
 
       井戸水が、飲料水であったのですが、 どうしても、畑などに散布する、人糞などに、
 
       ハエや、蚊か゜接触し、 そこで、腸チフス菌、 その他の病原菌がついて、 天水の
 
       桶などに、病原菌が入るわけです。
 
       戦後の現在は、 化学肥料主体となり、 水も水道の水が復旧し、 このような病気は
 
       少なくなるのですが、 当時は、これらの病気が原因で、おおくの人達が、亡くなったの
 
       です。 
 
 
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         陸地においても、水上の艦艇にあっても、 飲料水は1度加熱して、殺菌する。
 
 
        これが、1にも、2にも、大切な予防法でありまして、 私達は、海軍衛生学なる授業で
 
        学習していくことになるのですが、 この赤痢という病気は、その後も、続いて
 
        病人が出ていくことになるのでした。
 
 
 
【次回に続く。】