第794回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】
南側の練兵場は白くなり、 ずいぶんと冷え込んだのです。
以前紹介しましたが、前の月の11月17日の木曜日に、 となりの第12分隊で2名の
ではないかと、大騒ぎになった出来事は紹介したのですが、 この日、第12分隊の大瀧
健夫生徒の症状が一向に良くならず、 熱が続き、食欲が衰え、衰弱して、 このままでは
猛彦 海軍大佐殿に、報告が上がったのです。
赤痢というのは、 当時、伝染病扱いでして、2人とも隔離されていたのですが、校長の
のです。
そして、2日後の12月9日の金曜日には、 江口 英二生徒も、 呉の病院に
運ばれていったのでした。
おそらく、2人は、兵学校の外で、何かを食べたか、飲んだかしたのであろうと、
推測されたのです。
当時、水道という物は無く、 雨といの水を、桶にためて、飲料水にする天水や、
井戸水が、飲料水であったのですが、 どうしても、畑などに散布する、人糞などに、
桶などに、病原菌が入るわけです。
戦後の現在は、 化学肥料主体となり、 水も水道の水が復旧し、 このような病気は
少なくなるのですが、 当時は、これらの病気が原因で、おおくの人達が、亡くなったの
です。
陸地においても、水上の艦艇にあっても、 飲料水は1度加熱して、殺菌する。
これが、1にも、2にも、大切な予防法でありまして、 私達は、海軍衛生学なる授業で
学習していくことになるのですが、 この赤痢という病気は、その後も、続いて
病人が出ていくことになるのでした。
【次回に続く。】