第797回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第796話 海軍兵学校 12月の江田内の事。 2014年4月28日月曜日の投稿です。
大正10年12月10日土曜日、快晴ながら寒風が吹く中、私達、海軍兵学校の3号生徒、
第52期の生徒に対しての、運用考査が始まり、 いよいよ私達の分隊の順番が回ってきたの
でした。
私の1つ前のハンモックナンバーの福元 義則生徒が、「 全員 整列。」
と、号令をかけますと、 それぞれに、背筋を伸ばしまして、かがとをつけて、
番号を叫んで、点呼を受けまして、 監事附殿の前に整列したのでありました。
監事附殿が、 「休んでよろしい。」と、指示が出まして、私達は、右足を、開いたので
した。
「 本日、これより、運用考査を行う、 海軍兵学校に入校以来、約4ヶ月間、
貴様らの日頃の鍛錬を発揮するときである、 ふんどしの紐を締めてかかるように。」
と、 訓示があったのでした、
「 考査の採点方法は、次の如しである。 まず、ランチの運用が正しくできるか
どうかである、 日頃、指導があったように、海面におろし、 又、 海面から
あげるまでが、 考査の対象である。
貴様らは、 ランチに帆を建てて、 あそこの向こうまでいくと、そこで停船し、
こちらから、この手旗信号を送るので、 1人ずつ、 この手旗信号で、
こちらに返信するように、 以上終わり。」と、説明がありまして、 監事附殿の
顔を見ていますと。
日に焼けた顔で、 「 それでは、考査を開始する。 全員、はじめーーぃ。」
と、大きな号令を発せられたのでありました。
私達は、 駆け足で、ランチ置き場に行きまして、 福元 義則生徒の、指揮の
かけ声の中、 息を合わして、少しずつロープを緩めていき、 ランチを水平に
保ちながら、 じわじわと、水面におろしていったのです。
水面におりますと、急いで、ハンモック番号順に、乗船しまして、 福元 義則生徒が
「 帆柱をあげい。」と、指示を出しますと、 「そうれい。」と、かけ声の中、 帆柱を
固定し、「 井上生徒は、 ロープひけい。」と、指示が出ますと、 井上 武男生徒
が、ロープをひっぱっていきますと、白い帆が、 するりリするりと上がって行ったのです。
当日は、幸運なことに、冷たい潮風が、「 ぴゅーぴゅー。」音をたてて吹いておりまして
たこ揚げをすれば良さそうな、そんな潮風でありました。
「 淵田生徒は、 舵を取れ、 今川生徒は、 ロープを固定せよ。」と、 福元生徒の
指示が飛びまして、 私達のランチは、 スルリ、スルリと、 江田内の海面に
滑り出したのです。
「 淵田生徒、 右 30度、 とーーりかーーーじーー。」と、叫ぶので、左方向に
船首を向けると、 正面2時方向から、こちらに戻ってくるランチがあり、
見て見ると、源田と小池君が乗り込んだ、ランチでありまして、
小池君が、「 ベロベロ パーー。」と、 鼻の中に、指を入れて、私達を笑わそうと
面白いことをするので、 大笑いしていると、 福元生徒が、「 みんな、笑ったら、
減点になるかもしりもはん。」 と言うので、「 そりゃそうやな。」と、思い直し、
私達は、粛々と、寒風の中、帆を張りまして、 江田内の湾の中を進んでいった
のでした。
【次回に続く。】