第817回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第816話  海軍兵学校 小用の三谷のおばさんの事。  2014年 3月18日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       
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          私達は、江田島の中の矢野という、当時和菓子屋さんで、ようかんを買いこみまして、
 
         一路、小用の港を目指したのです。
 
         皇族の高松宮殿下は、専用の御用船の初加勢 【はつかぜ】に乗って、宮島の
 
         対岸の宮島口から鉄道に乗られるのですが、私達は、とことこ歩いて、 峠を越えて
 
         
 
 
  
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                     【  当時の江田島から小用への峠道 】
 
 
      山向こうの小用【こよう】の港に急いだのです。 以前紹介しましたが、兵学校から、
 
      歩いて、30分程度でしょうか、 速い人で20分程度です。
 
       私達一行は、 軍歌を歌いながら、冬の12月の峠道を歩いたのですが、足取りは
 
       軽かったのです。
 
       私が、「 みんなすまんのんやが、船着き場で、先にならんどいてもらえんやろか。」と、
 
       言うと、井上 武男生徒が、「 どこにいくだっぺや。」と言うので、 「 8月に泊まった、
 
       三谷のおばさんの家に、本が預けてあるんや。」と、言うと、井上生徒も、「 つれションで、
 
       一緒に行くダッペ。」と、言うので、 そんな話をしていると、小用の港についたのですが、
 
 
 
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                              【当時の小用の港】
 
 
          大勢の生徒が、押しかけて、船に乗る波止場は、長蛇の列であったのです。
 
          源田が、「 こりゃーー、いけんわーー、すぐのらりゃーへんわーー。」と、
 
          言うと、小池 伊逸【 後の連合艦隊 水雷参謀 】君が、 「 うわーーー、
 
          淵田さん、こりゃ、あかんでーー。」と、言うものですから、 源田が、「 おぃ、
 
          どうせ、船にはすぐのらりゃーせんけえ、 その婆さんの家に行って、一服
 
          しょうや、 どうせ、淵田生徒は、その婆さんのみやげで、矢野の羊羹こうたん
 
          じゃろうけえのーー。」と、言うものですから、「図星やがな、三谷のおばさん、、
 
         旦那も、息子も、靖国神社に行かれて、寂しくしとるさかい、 みんなそのつもりで
 
        おってや、  ほんなら、そやったらみんなで三谷のおばさんの家にいこうかいな。」と、
 
         全員でとことこ、小用の町の路地を歩いて三谷のおばさんの家に行ったのです。
 
          「 たしか、このへんやったんやがーーー。」と、捜していると、 源田が、
 
           「 こんなー【広島のほうげんで、お前という意味】、場所もおぼえとらんのんか。」と、
 
          言うので、「 あたりまえやがな、入試の日に、すこしご厄介に、なっただけや
 
          ねん。」と、不機嫌そうに言うと、
 
 
 
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   井上 武男生徒が、「 あの家ダッぺや。」と、指さすので、「 ほうや、ほうや、あそこやがな。」
 
   と、みんなでどかどか庭に入ると、竹で×のかたちに、通せんぼがしてあったのでした。
 
   「 なんや、これは。」と、取り除こうとすると、向こうから、お爺さんが近づいてきて、
 
    「 あんたらーー、なにしょうるんなーー。」と、聞くものですから、「三谷のおばさんに、
 
     本を預けとるんや。」と、言うと、お爺さんは、「 はぁーーーーっ、ほんまきゃーーー。」と、
 
     びっくりしたような顔をして、 私達のそばに歩いてきたのでした。
 
 
 
【次回に続く。】