第818回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第817話  海軍兵学校 小用の三谷のおばさんの事。   2014年5月19日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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   私達は、竹の柵をとって、中に入ろうとしていたら、 「 あんたらーー、だれきゃーーの。」と、
 
  近所の爺さんと思われる人が近づいてきて、 私は、「 三谷のおばさんに、本を預けとるんや。」
 
  と、言うと、 老人の目が、ぱっと大きく広がって、「 バカなことはすなーーー、 みんな、こっちに
 
  きんさい。」と、手招きするので、 小池 伊逸君が、「 じいさん、なんやねん。」と、 いいながら
 
  そばに行くと、「 三谷の婆さんは、11月にのーーや、疫病にかかって、死んだんじゃ、 呉から、
 
   白い服着た、防疫の人らーーが、ぎょうさん【 江田島の方言で、たくさん来てから】 きてから、
 
   このへんはのーー、えりゃーーさわぎじゃったんじゃ。」と、言うものですから、それを聞いた
 
   源田 【源田 實 後の航空幕僚長 参議院議員 】は、「 わりゃ、 淵田生徒、 腸チフスじゃ、
 
   みんな、ここから早う退散せにゃーー、今、腸チフスになってみぃーー、 退学処分間違いなし
 
   じゃーー。」と、言うので、私達は、「  腸チフス言うたら、えらいこっちゃ。」と、その場を離れた
 
   のです。
 
 
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      当時は、井戸水に、 畑の肥だめで、ばい菌が充満し、ハエ、蚊、 ゴキブリ、アブラムシ
 
     などに、病原菌がついて、 井戸水や、天水【雨樋の水を飲料水でためる桶】に、病原菌が
 
      入って、感染したり、  肥だめから、 はたけの作物に、汚物をまくと、 野菜などの作物
 
      から人体に病原菌が入って、 赤痢、腸チフスなどの病気が、多発していたのです。
 
      
 
   
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        戦後、 パージ【戦争犯罪人】に指定され、 公職追放になり、私は、故郷に近い
 
        奈良県、 橿原市で、農業をすることになるのですが、 肥だめの肥料をまくのは
 
        良いのですが、 これが、 よい部分もあれば、悪い部分もありまして、農業は
 
        土が命であるのですが、 肥だめの肥料から、野菜などに、病原菌や、回虫などの
 
        卵が附着して、体内に入りますと、体内で繁殖し、 よく、「 腹の虫が鳴き出した。」
 
        などと、ことわざがありますが、昔の人は、体内に、寄生虫が多かったようで、死に
 
        いたる場合もあるのです。
 
 
 
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             【 海軍軍令部 参謀時代の 草鹿 龍之介 海軍少佐 後の海軍中将 】 
      
 
          真珠湾攻撃の時の第1航空戦隊の参謀長で、終戦時の連合艦隊の参謀長を
 
        歴任した、 草鹿 龍之介 海軍中将は、戦後、 化学肥料の開発研究に取り組ま
 
        れるのですが、 また順をおって紹介して行きますが、 肥だめや、堆肥を畑に
 
        まくときは、用心が必要です。 
 
        
 
    
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         話は元に戻りまして、 私達は、急いで駆け足で、小用の港の方向に退却した
 
         のです。
 
         預けてあった、本はそのままになったのですが、 腸チフスという、疫病は、当時は
 
         死病として、 肺結核と同様、恐れられていたのです。
 
 
 
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         源田や、他の生徒が、海水で手を洗い、 顔を洗い、 「 病原菌がついたら
 
         大変じゃ。」と、言って、みんなが私の顔を見るものですから、「 みんな、えらい所に
 
         案内してしもうてからに、 すまなんだな。」と、 ことわりを言ったのでした。
 
         つい、数ヶ月前まで、お元気でしたが、 人の人生とは、運命かも知れませんが、
 
         小用の港街の、三谷の婆さんの事は、大変残念な出来事でした。 
 
 
 
【次回に続く。】