第821回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第820話 海軍兵学校 天谷 孝久 生徒の事。2014年5月22日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
       以前紹介したのですが、 現在の広島県呉市の西にある、 川原石港は

      、私達が海軍兵学校に在学していた当時は、 河原石港と呼ばれ、 また゜

       当時鉄道の駅はなく、記憶が定かでないのですが、昭和の初めになって、

       河原石駅が出来たと記憶しています。
 
       私達は、「  全員、急いで下船せよ。」と、号令の中、 小魚が、解き放た

       れるように、河原石港に上陸し、 船は急がしそうに、小用の港に戻って

       いきました。
 
       正木 生虎生徒達と一緒に下船したのですが、 その中に、天谷 孝久

       生徒がいまして、 天谷 と書いて、あまがい と読む珍しいお名前でした。
 
       彼は、 茨城県の出身で、 私と一緒にいた、 井上 武男生徒に、「 貴様

       は、どこまで帰るだっぺや。」と、聞くので、井上生徒が、 「 常磐線で、

       水戸までであります。」と、天谷生徒は、 一クラス上の学年の51期なの

       で、 敬語で返事をしたのです。
 
       すると、 「 この近くに、呉でわしが、いつもみやげを買う良い店

       があるので、貴様らも一緒にどうだっぺ。」と、 誘いがあり、 記憶に

       よると、  52期の 鈴木 成章生徒と、井上 武男生徒と、小池 伊逸

       生徒、 源田 實 生徒、 山口 博生徒などと、天谷生徒の後について

       歩いていったのです。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 


      鈴木 成章生徒も、茨城県の出身で、 井上生徒の水戸より、常磐線で、

      1時間程度、取手よりの、佐貫駅から、南に6キロ程度行ったところの、

      龍ヶ崎という所の龍ヶ崎中学【現在の龍ヶ崎一高】の出身でありました。
 
      天谷生徒は、 「ここは、なになにだっぺ。」と、井上生徒にお国言葉で、

      呉を説明してくれて、私達も、河原石から川を渡って、呉まで歩いたのです。
 
      私は、 知識の泉 とか、書いてある本を、鉄道の客車の中で読もうと

      思いまして買いまして、 さすが、1クラス【1学年のこと】先輩、 呉の

      いろんなお店をご存じでありました。
 
      天谷 孝久生徒は、後輩の面倒見も良く、 話しやすい人で、強運の

      持ち主でもありました。
 



       あれは、忘れもしない、 ミッドウェイ海戦の時、 空母飛龍から、 加賀

     に転勤され、当時、第1航空戦隊の加賀の飛行長をされていたのです。
 
 
イメージ 3
 
 
 
         みなさんご存じかどうか知りませんが、加賀は、 急降下爆撃を

         受けまして、ちょうど艦橋の前に、航空燃料を積んだ、ガソリンタンク

         車がとめてあり、航空機への燃料給油中、 爆弾が炸裂し、引火して、




イメージ 8



            【  加賀の艦長であった 故 岡田 次作 海軍少将 】



         艦橋が一瞬で消し飛んで、艦長の岡田 次作 海軍大佐殿をはじめ、 

         航海長の門田海軍中佐【広島県沼隈郡出身】など、幹部が一瞬で、

         戦死してしまったのですが、 天谷 孝久 飛行長のみ、吹き飛ばさ

         れて、なぜか生きていたのです。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
        記憶によると、 昭和50年頃、アメリカ合衆国建国200周年の記念で

       作られた戦争映画、ミッドウェイでは、 大火災の加賀を 艦長に代わって、

       機関長が指揮をとり、ーーーーー云々と、紹介されていますが、それは

       アメリカの映画会社の 間違いでありまして、正確には、 生き残った、
 
   
 
イメージ 5
 
 
 
         天谷 海軍中佐が、 火災消火の指揮をとっていたのです。
 
         どうにも、 つぎつぎ、爆発が続いて、 どんどん、艦首と、艦尾に

         追い詰められ、彼が 退艦を決定し、 海に飛び込むのですが、 

         泳いでいる最中、 水面から潜望鏡が姿を現し、しばらくして
 
 
 
イメージ 7
 
 


         魚雷で加賀が、攻撃され、沈没していったそうで、 日本の航空

         母艦 加賀の最後の介錯をしたのは、アメリカの潜水艦ノーチラス号

         であったようです。
 
 
 
イメージ 6
 
 


     しばらくして、天谷海軍大佐【当時】から、そんなお話を聞きまして、人の
 
     運命というのは、わからないものでして、  加賀の艦橋のベランダに出て
 
     飛行甲板を見渡していたのが、良かったのかも知れません。
 
     爆風で吹き飛ばされて、甲板に落ちたそうですが、 艦橋の中にいたら、
 
     助からなかったと思いますが、 吹き飛ばされて、「 あいたたたたっ。」と、
 
     気がついて、振り返ると、加賀の艦橋自体が、 消し飛んで、なくなっていた
 
     そうで、 神のご加護があったようです。
 
 
 
【次回に続く。】