第822回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第821話 戦艦日向の河野栄男水兵との出会いの事。
2014年5月23日金曜日の投稿です。
【 戦前の焼失前の呉停車場の呉駅舎の古写真】
私達は呉で天谷孝久生徒殿のご案内で、お土産、弁当などを買いこみまして、呉の
水兵の帰省で 混雑しておりまして、 客車に乗りましても、満員で、押しくらまんじゅう
のような感じで、広島駅まで鉄道で移動したのです。
源田生徒に、「 あんさん、広島の自宅やから、近場で、えーーーなーー。」と、話し
かけると、源田生徒が、「 こんなーー、なんもしらんのんじゃのうーー。 加計という
たら、山奥じゃけえ、 今日中にはつかんけえ、 わしゃーー、広島市内の、原酒造の
おばさんのところで一泊して、明日早朝、 加計に戻ることにしたんじゃ。 今日は、久
しぶりに、おばさんの手料理が食べれそうじゃ、 事前に、はがきで知らせてあるけぇ、
みやげもこうてから、準備万端よ。」と、そんな会話をしていたら、あっという間に、
広島駅に着いていまい、「 おい、源田生徒、えーー正月、すごしてや。」と、プラット
上りの鉄道の客車に乗り込んだのです。
道中、奈良県まで長いので、座席に座れればよいのですがと心配していたら、
ずいぶん出発まで時間があるのに、座席が埋まっていまして、 と゛こかあいと
らへんかと、客車の中を歩いていますと、 ちょうど二人分、座席があいていたの
でした。
相対する座席の前には、 いかめしい厳しい顔をされた、海軍中尉殿と、セーラー
姿の水兵が座っていて、 私達は海軍中尉殿に、「 海軍兵学校、淵田生徒、及び、
小池生徒であります、 前に着席しても良いでありましょうか。」と、挨拶すると、「 貴
様は、何期の生徒か。」と質問され、「 はっ、52期であります。」と返事をすると、海軍
中尉殿は、頭の中で暗算したのか、「 貴様達は3号生徒か。」と指摘を受けまして、「
その通りであります。」と、ご返事すると、「おい、座れ。」と、許可が下りまして、 私達
は、座席に座ることが出来たのでした。
私は、「 小池君、大阪まですわれそうやで、 えかったがな。」と話しかけると、
小池 伊逸 生徒が、「 ほんまですわーー、 大阪まで、立ちっぱなしは地獄です
さかいに。」と、 そんな会話をしていると、 前に座っていた、セーラー服姿の
水兵が、 「 候補生殿は、どちらに帰省でありますか。」と、話しかけてきたので、
私が、「 わてら二人、これから、奈良県まで、正月休暇で帰るんや。」と、言うと、
水兵が、「 そりゃーーとおいいねーー、自分は、福山までですので、ここから
2時間程度であります。」と言うと、 となりの海軍中尉殿が、「 貴様も福山駅
下車か、 官姓名 所属は。」と、問われて、「 はっ、 戦艦日向の観測員、河野栄男
「 千歳というと、鞆の浦の西の方か。」と、海軍中尉が言うと、「 そうであります、
中尉殿は、 福山でありますか。」と、水兵が尋ねると、「 我は、福山で下車して、
私は、当時この、河野水兵が、 自分のあこがれている戦艦の勤務と聞いて、色々と
尋ねたのでありました。
【 当時の改装前の戦艦 日向 】
聞いてみますと、河野 栄男水兵、 海軍に志願して、 私と同じ虎年の明治35年
生まれでして、気が合うと言いますか、戦艦日向の砲弾観測員の仕事のお話など
話かはずんだのでした。
読者のみなさんに紹介しますと、戦艦の射撃というのは、 砲弾の観測員の腕で、
上になったり下になったりしまして、大変難しい、終わりのない、職務でありました。
当時は、秋に演習がありまして、 各艦の砲撃の成績考査がありまして、自分の
艦が、成績が悪いと、出世に影響するので、各主要艦艇の艦長は、この砲弾観測の
業務に力を入れ、普段から厳しい訓練が行われていたのです。
【次回に続く。】