第826回  昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第825話 海軍兵学校 南進派の事。    2014年5月27日 火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
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   大正10年12月当時、 海軍兵学校の教科書にも出ていない、【水上機動兵力】という
 
  軍事用語がよくわからず、 わからないので、安井 義達 海軍中尉殿に、おうかがいしたのでした。
 
  すると、 安井海軍中尉殿のお話と言うのは、「  日本には、ゴム、すず、天然ガス、石油など
 
  の資源がないので、 いずれは、米国、イギリス、フランス、オランダと、一戦し、南方資源地帯を
 
  傘下に収めようとする、そういう時期が遠からず到来する。
 
 
 
 
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       【  安井 義達  海軍中尉  のちの海軍中将 海兵46期 広島県府中市出身 】
 
 
 
 
 
 
  陸軍はシベリアに入り込んで、 泥沼にはまったようになっているが、シベリアなんぞ占領しても、
 
  木材程度の物資しか望めん【 当時は、氷と雪だけで、地下資源のことが知られていなかったの
 
  です。】  南方に出るには、 海軍内に、現在より強固な、陸戦部隊を充実させなければ
 
  ならん、 尼港事件のような、 惨めな結果に終わらないよう、 大小の艦隊と一緒に、陸戦
 
 
 
 
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        兵力が水上を移動して、南方の島々に上陸し、占領せしめるには、それらの小型艦艇、
 
        上陸用の舟艇、 兵器の整備が現在では、 真に乏しい、 今後この分野に力を入れて
 
        整備していく必要がある。」と、 こんなお話であったのです。
 
        私達は、 このお話を聞いて、  「大日本帝国が、南方に進出して、資源地帯から
 
        欧米勢力を一掃するのでありますか。」と、 目を丸くして当時ご高説をおうかがい
 
        したのです。 
 
        当時、「南方資源地帯に進撃し、米英仏和蘭などを撃破して、ここを占領すべし。」
 
        という考えの軍人を、南進派 【なんしんは】と、呼んでいくことになります。
 
 
 
 
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                  【 ドイツを訪問し、閲兵する、松岡洋介 外務大臣 】
 
 
        そして、昭和に入りまして、 日独伊三国防共協定などを経て、西洋諸国が
 
        大日本帝国に、経済封鎖をかけて、石油、鉄鉱石、すず、ゴムなどの禁輸を
 
 
 
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                        【  ヒットラー総統と松岡外務大臣。 】
 
 
        行って、日本の首を締め上げてくるのですが、 そういう動きに対しまして、南進派
 
        は、どんどん勢いづき、 大東亜戦争に突入していく原動力になっていくのです。   
 
 
 
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      その後、 安井 義達 海軍中尉殿は、 海軍陸戦隊の部門に力を入れて研究され、
 
     上海事変などに、出陣され、 昭和11年の226事件の時は、横須賀海軍特別陸戦隊
 
     を率いて、 巡洋艦 青葉に乗艦して、 東京に上陸、 海軍省などに駆けつけ、
 
     反乱陸軍部隊対峙し、海軍の中では、陸戦の権威の、最先任として、知られていきます。
 
 
 
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       そして、 通称、【海軍の陸軍大佐】と、呼ばれるようになり、 その用兵理論は、
 
       陸軍からも、一目、おかれた人でありました。
 
 
 
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         昭和18年 少数の海軍陸戦隊、陸軍部隊と、混成部隊を組織し、補給が立たれた
 
         南方のブナで、 食料、医薬品、弾薬が底をつき、部隊が全滅し、安井 義達 
 
         海軍大佐殿も戦死されるのですが、 「 この書類を命をかけて、トラック島の連合
 
         艦隊司令部に届けよ。」と、命令を出して、たった一人の将校が、ノートを持ち帰るの
 
         ですが、 そのノートには、米軍の装備、陣形、攻撃方法など、細かく書き留められ、 
 
         それに対抗した戦法、 そして、 その結末、我が皇軍に不備な部分などを書き記して
 
          あったそうです。
 
          戦死される、前日まで、几帳面に、データーをとられ、 書き記されていたようで、
 
          戦争がなければ、 その後、いろんな方面で活躍されたのではと思います。
 
 
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          私達、海軍兵学校の生徒と、安井海軍中尉殿をのせた鉄道は、山陽本線
 
          糸崎停車場を通過し、 尾道の手前まで、 さしかかったのでした。
 
 
【次回に続く。】