第827回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第826話、鉄道事故現場での敬礼の事。        2014年5月27日水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
   
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       私達を乗せた鉄道は、山陽本線 糸崎停車場で停車し、すこし待ち合わせになった
 
       のでした。
 
       私は、河野水兵と大話していると、 腹が空いてきたので、江田島の矢野の和菓子屋で
 
       購入した羊羹をひとつ出しまして、 その場で、広げて、安田 義達 海軍中尉や、扇
 
       一登生徒、黒田 吉郎生徒、小池 伊逸生徒、 河野 栄男水兵に、薦めたのでした。
 
 
 
 
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        安田海軍中尉殿が、 「江田島の羊羹とは、久しぶりだ、よく、酒保で、つけて、食べた
 
        ものだ。」と、難しい顔をしていたのが、 にこやかな顔に変わりまして、扇生徒となども、
 
        みんなで、つまみながら、またまた、江田島の羊羹談義に花が咲いたのです。
 
        しばらくしますと、鉄道は、コトン、コトンと、進み出したのです。
 
        そう、数キロ言ったところで、 徐行運転になりまして、「 プゥオーーーーー。」と、何回か
 
         汽笛を鳴らすので、私が、「 はて、何かあったんかいな。」と、立てりますと、
 
 
 
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       安田中尉殿が、 「 なんだ、貴様は知らんのか。」と、問われたので、「 はて、なんで
 
        ありましょうか。」と、問い直すと、 安田海軍中尉殿は、明治時代のお話を私達に
 
        聞かせてくれたのでした。
 
 
 
 
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              【 当時の公会堂付近、 大きな船着き場と、倉庫が見える。】
 
 
       「 ここを少し行くと、尾道駅があるんだが、 海岸線が直線で、海岸から、すとんと、
 
      水中が深くなっていて、 大型船の接岸に、非常に便利な自然の港で、 対岸に、
 
 
 
 
 
 
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             【  当時の尾道市、十四日元町付近  現在の市営駐車場付近も、
     
               当時は、 海産物などの倉庫が並んでいた。 】
 
 
 
 
      向島【むかいしま】という、島があるので、波が穏やかで、 良港なのだが、少し西に
 
      行くと、 ちょうど、 木原と、吉和の間の海岸線が、 悪天光寺、潮の流れの
 
      関係で、高波が打ち寄せるわけだ、  明治28年7月25日 暴風雨の高波で、鉄道の
 
      
 
 
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                   【  当時の尾道水道、 現在の新浜の護岸付近。】
 
 
           線路が洗い流されて、 線路が、夜中に、宙に浮いた状態になってしまった。
 
           つまり、土台の盛り土と、枕木が、洗い流されてしまったのだ。
 
           夜中で、見えなかったのだろうが、 そこに、 陸軍の兵員輸送鉄道が、
 
           ノーブレーキで、 突っ込んで、 横転、脱線し、多くの死傷者が出て、
 
          大惨事となったのである。
 
           おまけに夜間だったので、救助が遅れ、 多くの兵士が、うめきながら、
 
           夜朝まで、土砂降りの中、横転した車内に放置され、他界したのだ。
 
 
 
 
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            【  ちょうど、 左方向、水道が広がった右側部分が、事故現場、 吉和町付近 】
 
 
 
 
          ここの事故現場を通過するときは、 徐行し、 供養を兼ねて、 汽笛を鳴らすと
 
          言うわけだ。」と、説明をしていただいたのでした。
 
          「 そういうわけで、全員、きょうつけ、 陸軍の英霊に、敬礼。」と、安田海軍
 
          中尉の号令がかかりまして、 私達は、窓の外を見ながら、敬礼をしたのでした。
 
 
 
 
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           現在は、この鉄道事故を伝える石碑が、広島県尾道市吉和町の西の線路沿い
 
           の、 国道2号線道路沿いにありまして、 広島第5師団 師団長、林 桂
 
           陸軍中将の手による字の石碑があって、 当時の事を伝えています。
 
                        桂閣下は、和歌山県の出身の陸軍中将で、 予備役になる前年の
 
            昭和11年頃、広島の第5師団の師団長でしたので、この石碑は、事故から
 
            随分たちました、昭和11年から12年頃の慰霊碑と思われます。
 
 
 
 
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            不思議な作りで、 裏面は、なにも文字がなく、 厚みの部分の側面に
 
            小さな文字で、近衛師団の部隊名、 将校の名前が多数、刻印されています。
 
            もしかしたら、 近衛師団の人達が、 事故に巻き込まれたのかも知れません。
 
            土台の裏面に、 山中村【当時この地域】 前田 徳一 建之 とあります。
 
            現在は、この地域は、福地浜と呼ばれています。
 
            明治28年7月25日の 台風による波浪の豪雨災害だったようです。
 
 
 
 
【次回に続く。】