第852回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年の新春、 1月10日水曜日、私達、3号生徒は、 小銃かけにかれられた
30年式、歩兵銃殿のように、 分隊の部屋の後に、直立不動で立たされまして、
2号生徒、1号生徒の先輩方に、自己紹介をさせられたのですが、私が身長が
172センチと、 すこし背が高かったことと、 1番左側に、立てっていたので、私が
中俣 勇 分隊伍長殿から、出身県と氏名を申告するよう、命令されたのでした。
淵田美津雄であります。」と、 大声を出しても、「 こらーー。3号、聞こえんぞ。」と、
ヤジのように、声が飛びまして、 回数は覚えていないのですが、 30分程度、
挨拶をさせられたのでした。
まったく、声がかれるのですが、 海軍にとっては、真水は、血のような貴重な物だと、
水を飲むことは、禁止になっていて、 大変でありました。
となりの生徒から、 末尾の生徒が終わるまで、 かがとをそろえて、背筋を伸ばして、
不動の姿勢でありますから、 随分大変でした。
この分隊の 第52期の生徒は、 読者のみなさんに紹介しますと、
群馬県 出身 西澤 慎六 君
栃木県 出身 宇都木 秀治郎 君
熊本県 出身 永野 順造 君
大分県 出身 糸永 冬生 君
広島県 出身 中村 昇 君
熊本県 出身 平井 又男 君
東京都 出身 渥美 信一 君
兵庫県 出身 向井 一二三 君
兵庫県 出身 伊藤 信雄 君
高知県 出身 宮地 美枝 君
長野県 出身 里見 五郎 君
山形県 出身 佐野 重士 君
東京都 出身 山口 達也 君
大阪府 出身 牛尾 義隆 君
そして、私でした。
「 どうして、おれが、こんなバカな事を、せにゃぁいかんのか。」と、防大の時、
なんどもなんども、思いましたと、回想されて発言されていましたが、 実は、大正
時代の私達の頃から、ずっと続いていまして、 1度挨拶すればよいことを、何回も
何回も、させるわけです。
制裁訓練みたいな物ですが、 挨拶が、やっと終わり、「 やれやれや。」と、
頭の中で、思っていると、 今度は、「 これより、 起立着席の動作訓練を行う。」
「 全員、 着席。」 「 全員、 起立。」と、なんども、なんども、させられるのです。
以前紹介しましたが、 「 1、2、3。」で、着席し、「 1、2、3。」で、起立しないといけな
いのです。
少しでも、1人が、動作が遅くなりますと、 またまた、「 海軍精神がたるんどる。」と、
厳しい指導があるのです。
私は、 「 新年早々、 最悪や、 えらいこっちゃ。」と、思いつつ、喧嘩して、やめて、
葛城村に帰るわけには行かず、 辛抱するしかなかったのでした。
【次回に続く。】