第853回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第852話  海軍兵学校 当番兵の事。        2014年 6月23日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
      
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      分隊の中の動作訓練が、やっと終わりまして、途中でありました荷物を寝台の小箱
 
     に丁重に入れまして、周囲の生徒と、「  淵田 いうや、よろしゅうに。」と、声を掛けると
 
     「 俺はさ、 渥美 信一と言うんだ。」と、 東京弁で、自己紹介するので、悪い人では
 
     なさそうだなと、思ったのです。 
 
 
 
 
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     渥美 信一君は、 私と同じく、航空兵となり、空母 鳳翔に乗り組むことになります。
 
     また、 順番に紹介して行きます。
 
     ところで、陸軍にも、海軍にも、当番兵という、制度がありまして、呼び方は同じなの
 
     ですが、微妙に、立場が部隊によって違っていました。
 
      海軍兵学校は、一般の学校と違い、軍隊のような、分隊制度というのを以前紹介
 
      しましたが、 海軍兵学校には、いろんな当番兵という制度がありまして、 分隊
 
      中の当番も、また、紹介して行きますが、たくさん当番があったですが、今日紹介する
 
      当番というのは、先輩生徒のお世話をする当番の紹介です。
 
      私は、新しい分隊に着任し、 先輩の1号生徒のお世話の当番になったのです。
 
      その人は、 第50期 上杉 義男 生徒であったのです。
 
      お世話というのは、 身の回りの洗濯から、ありとあらゆる申しつけに、
 
      対応することでして、 大変な役目でありました。 
 
 
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      【 上杉 義男 海軍大佐 海軍兵学校50期卒 広島県 福山市 誠之館中学出身。】
 
 
        この上杉 義男 生徒は、水雷屋と呼んでいたのですが、駆逐艦水雷戦隊に進んで
 
        駆逐艦 弥生、沖風、 潮、 峯雲 と、艦長を歴任した人でした。
 
 
 
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        この分隊分隊伍長の 中俣 勇生徒も、 水雷屋の駆逐艦乗りになり、
 
        分隊伍長補の 作間 英邇 生徒も、水雷屋で、駆逐艦乗りになっていきます。
 
        第50期のこの分隊は、水雷屋の分隊とでも言いますか、 そんな先輩生徒が多かった
 
        のです。
 
        そして、 私は、1号生徒の上杉 生徒の寝台の前に行きまして、ご挨拶申し上げた
 
        のです。 
 
 
 
【次回に続く。】