第858回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第857話 海軍兵学校 忍積心の事。 2014年6月28日土曜日の投稿です。
軍人という組織は、意見具申【いけんぐしん】といいまして、上役に、「 こうしたほう
が部隊や艦の為に良いと思います。」と、こういう建設的なことを、申し上げることは
許されていたのですが、上役が、それを聞いて、 「 命令 ○○をせよ。」と、命令
が出ますと、 必ず従わないといけなかったのです。
つまり、 1つの部隊で、 部隊の指揮官が、 白と言うのを、黒と言う人が出ますと、
命のやりとりをする戦場では、 まとまり、つまり統率が出来なくなるからでした。
上官の命令に対して、反抗することを、【抗命 こうめい】 と呼びまして、 当時は
それを行うと、 海軍の中の裁判、 軍法会議にかけられて、 身分を剥奪されて、
水兵に落とされたり、 ひどい場合は、銃殺と決まっていたのです。
銃殺というのは、 法務死 と、 こう言う表現で、遺骨引き取り人に通知が来たのです。
人がたくさん集まれば、 多くの問題が発生するのですが、 全体を考えると、
その人の言い分が正しくても、 暴力事件や、人と摩擦を起こす兵士は、管理職
の上の人から見ると、 問題のある兵士と言う事になるのです。
能力は低くても、トラブルを起こさず、なにもない人の方が、いくら仕事が出来ても、
人と、摩擦を起こす人よりも良いわけです。
海軍省が、 1年で、1回 人事移動を行っていたのは、 一人の人が、
ひとつの事を長くやり過ぎますと、 問題を隠蔽したり、 癒着が発生したり、
良くないことが起きるのを防止することもありましたが、 どうしても、24時間
寝起きする艦艇では、変な、気の合わない人も出て来るわけです。
1年に最低1回、 人事移動がありますと、 我慢が出来るわけです。
「 1年の辛抱。」という事で、 このいやな人と、一生、いや、数年と考えると
爆発するのが、 1年間でしたら、 辛抱が出来るわけです。
当時私は、井上 武男生徒の、新しい分隊での、変な上級生のお話を聞いて
我慢しろと言うしかなかったのですが、 人に不平不満を言うと、少しは、
心が穏やかになれたようでした。
午前中の課業を終了して、 分隊内の上級生の椅子をきれいに拭いたり、
食器や、 食事を整えたりすることが、義務ずけられているようですが、
これも、 なにも意味が無く、義務ずけられているのではなく、 組織の運営上
上役のお世話をするという、 こういう心がけを磨くために、決められている
ようです。
食事は、 上役より、早く食べてもいけませんし、 非常に遅いのもいけませんし、
食事中は、場が和むような、お話をするのも下級生に義務ずけられている
ようです。
下級生は、大変なわけですが、 こう言う事を繰り返して、 忍従ということを
身につけるわけです。
一人一人の、協調という言葉が、 大きく集まりまして、大きな艦が動いて
行くわけです。
艦長が、右と言えば、右に動き、 左に行くようなことがあってはならず、
左と言う人がいては、まずいわけです。
そして、あるお話を、 井上 武男生徒に、洗濯をしながら、私はお話しした
のでした。
【次回に続く。】