第879回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第878話 海軍兵学校 閲兵訓練の事。        2014年7月19日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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      東京で、第45回 帝国議会が混乱して、なにも決めることが出来ず、混沌とする中、
 
 
    2月に入りまして、陸軍の重鎮、 山縣 有朋 侯爵が、お亡くなりになった頃、兵学校では、
 
    どういうわけか、理由を知らされず、 午前中の授業を削ってまで、閲兵訓練が始まった
 
    のでした。
 
    閲兵訓練というのは、 身分の高い人が、おこしになられると、小銃を担いで、行進して、
 
    ご覧に入れる訓練なわけです。
 
 
 
 
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        教頭の 丹生 孟彦 海軍大佐殿から、全校生徒に、気合いを入れて、訓練するように
 
       訓示があり、 私達は、「 新米の私達、3号生徒が訓練するちゅーーんであれば、
 
       わかるが、 全校生徒とは、 どないなっとんや。」と、 ひそひそ話をしていました。
 
 
 
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         陸軍の部隊閲兵というのは、 整列して、小銃を担いで、 担え筒 をしたりして、
 
 
 
 
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        閲兵する身分の高い人が、馬に乗って、移動する事が多く、 比較的楽なのですが、
 
        私達が訓練を受けていたのは、 どう説明したらわかりやすいかーーーー、
 
        そう、 戦後の学校の運動会の集団行進の練習を思い描いていただくと、わかり
 
        やすいと思います。
 
 
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      先頭の1号生徒の次席生徒が、 軍艦旗を掲げまして、 「 1、2、1、2、。」と、こんな
 
      感じで、行進して行くのです。
 
      その後を、分隊事に、 重たい小銃を担いで、行進するわけです。
 
 
 
      
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      指導監督は、以前紹介しました、独特の演出で知られた、古田中 海軍隊尉殿で、
 
      大正時代の当時は、 ハンドマイクも、拡声器もないので、 随分指示を出すのが
 
      大変でありました。
 
      それはもう、 足は、揃うのですが、 右手が、肩まで、拳を上げるのですが、
 
      なかなか揃わないわけです。
 
 
 
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         そして、何度も何度も、繰り返し行うわけです。  私は足の裏が痛くなって、
 
         それを通り越しまして、 感覚が麻痺してしまい、 ずいぶんと、大変な思いをした
 
         のです。
 
 
 
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         それが終わったら、 今度は、小銃殿を分解して掃除して、 ホコリがついてないように
 
 
         手入れをしないといけないわけでして、 これが又、大変であったのです。
 
 
 
 
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        私は、「 おぃーーー、なにがあるんやろか、だれか偉い人でも、くるんかいな。」
 
        と、 みんなに聞いてみたのですが、 「 さあーーーー、よくくわからん。」の
 
        返事しか、返ってこなくて、  目的も知らされぬまま、 つらい訓練が続いたのです。
 
 
 
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         数ヶ月後、 これらの意味がやっと、解けるのですが、 又 順番に紹介して
 
         いこうと思います。
 
 
 
【次回に続く。】