第880回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第879話  山縣有朋侯爵の国葬の事。     2014年7月20日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
   大正11年2月6日の月曜日であったと思いますが、 この日、多くの人の人生を変えていった、
 
  日本経済が、 破綻していく原因となっていった、 ワシントン軍縮条約が、制式に調印された
 
  のです。
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
    つまり、日本は新しい戦艦を建造できなくなってしまい、 加賀、天城、赤城などの
 
    建造途中の艦艇を、 スクラップ処分しないといけなくなったのです。
 
    そして、 それらに乗り組むために、養成していた、水兵や、海軍将校を、整理しないと
 
    いけなくなっていったのです。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
      アメリカやイギリス、フランスなどは、日本がこのまま膨張し、いずれ敵対して来る前に
 
      制限を設けて、歯止めをかけようとしていたのです。
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
      世の中が、この軍縮条約で、大騒ぎになっていた頃、 2月9日 木曜日に、山縣 有朋公
 
      の国葬が、執り行われたのです。
 
      当時は、内閣総理大臣より、影響力があり、 巨大な軍閥の頂点を極めた人でした。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
        ちょうど、山縣 有朋 公の国葬が執り行われていた頃、私達は、 閲兵訓練の
 
        合間に、水雷の授業を受けていたのです。
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
       当時の私は、 練兵場で小銃を担いで、 怒られ怒られ、行進の練習をさせられるより、
 
       椅子に腰掛けて、 水雷の授業を聞いていたほうが、楽しかったのです。
 
       当時、過去の戦訓話を聞くのが大変好きでありまして、 過去の武勲話を聞いて
 
       いずれは、我も、一旗あげんと、 野心があったのです。
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
         そして、入船海軍大尉殿の水雷艇の講義が始まったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】