第882回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
入船海軍大尉殿の問いかけに、生徒は誰も返事が出来ず、 大尉殿は、そのままお話を
続けられたのでした。
アルベマール と言う軍艦を建造して、北軍を脅かしていたのである。
北軍は、砲艦8隻の艦隊で、アルベマールを集中攻撃したのであるが、ことごとく撃退され、
大きな損害を出したのである。
10月26日 夜間、 トッピード ポート【水雷艇】に、大量の火薬を搭載して、 それを闇夜
に紛れて、接近し、 カッシン 大尉が、操舵して、 体当たりし、 アルマベールの喫水線に大穴を開けて
沈没せしめたのである。
カッシン大尉は、 直前に飛び込んで、 命は助かったのであるが、これが世界で初めての
水雷艇の戦果である。
つまり、 隠密に夜間挺進し、体当たりして、 爆発し、敵鑑の側面を破壊して、浸水せしめ、
沈没させる戦法である。
自爆ボートを設計し、同国海軍に採用を訴えたのであるが、 時期尚早と言う事で、不採用となり、
同国海軍の根拠地のフューメ港の機械製造会社のイギリス人技師に、この図面を見せたわけ
である。
そして、見えない、水中を巡航する、 魚雷の構想に発展していったのである。
このイギリス人技師が、 魚雷を考えた、 ロバート、ホワイトヘッド という人物である。
遠隔操作の自爆ボートの研究が、水中を走る魚雷に発展したのである。」と、お話をされたのです。
私は、「 ほぉーーー、魚雷ちゅーもんの、前身は、 自爆ボートで、 乗員が危険なため、
無人化が研究され、 魚雷になっていったかいな。」と、この時初めて知ったのでした。
慶応3年と言えば、日本は戊辰戦争の頃で、 ちょんまげや、刀を差して歩いていた頃、
欧米では、魚雷が発明されていたわけです。
私は、 さらに、 耳をそばだてて、 入船海軍大尉殿のお話を、聞いたのでした。
【次回に続く。】