第882回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第881話 海軍兵学校  水雷艇の挺進攻撃の事。    2014年7月22日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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   入船海軍大尉殿の問いかけに、生徒は誰も返事が出来ず、 大尉殿は、そのままお話を
 
続けられたのでした。
 
 
 
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  「 時は、1864年10月20日、 当時、アメリカは南北戦争の最中で、南軍が、装甲艦
 
アルベマール と言う軍艦を建造して、北軍を脅かしていたのである。
 
北軍は、砲艦8隻の艦隊で、アルベマールを集中攻撃したのであるが、ことごとく撃退され、
 
大きな損害を出したのである。
 
 
 
 
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  10月26日 夜間、 トッピード ポート【水雷艇】に、大量の火薬を搭載して、 それを闇夜
 
に紛れて、接近し、 カッシン 大尉が、操舵して、 体当たりし、 アルマベールの喫水線に大穴を開けて
 
沈没せしめたのである。
 
  カッシン大尉は、 直前に飛び込んで、 命は助かったのであるが、これが世界で初めての
 
水雷艇の戦果である。
 
 
 
 
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  つまり、 隠密に夜間挺進し、体当たりして、 爆発し、敵鑑の側面を破壊して、浸水せしめ、
 
  沈没させる戦法である。
 
 
 
 
 
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  この、戦果を、アメリカから遠く離れた、ヨーロッパのオーストリーの海軍大佐、ルビス大佐が、
 
 この南北戦争での戦訓話を聞いて、操舵する人間の危険を減らすために、無人の遠隔式の
 
 自爆ボートを設計し、同国海軍に採用を訴えたのであるが、 時期尚早と言う事で、不採用となり、
 
 同国海軍の根拠地のフューメ港の機械製造会社のイギリス人技師に、この図面を見せたわけ
 
 である。
 
 そして、見えない、水中を巡航する、 魚雷の構想に発展していったのである。
 
 
 
 
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   このイギリス人技師が、 魚雷を考えた、 ロバート、ホワイトヘッド という人物である。
 
  つまり、 魚雷の元祖は、実は、自爆ボートで、 それを無人化した、オーストリーの海軍大佐の
 
  遠隔操作の自爆ボートの研究が、水中を走る魚雷に発展したのである。」と、お話をされたのです。
 
   私は、「 ほぉーーー、魚雷ちゅーもんの、前身は、 自爆ボートで、 乗員が危険なため、
 
  無人化が研究され、 魚雷になっていったかいな。」と、この時初めて知ったのでした。
 
 
 
 
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  慶応3年と言えば、日本は戊辰戦争の頃で、 ちょんまげや、刀を差して歩いていた頃、
 
  欧米では、魚雷が発明されていたわけです。
 
  私は、 さらに、 耳をそばだてて、 入船海軍大尉殿のお話を、聞いたのでした。
 
 
【次回に続く。】