第883回  昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第882話  海軍兵学校2種類の魚雷の起源のお話の事。 2014年7月23日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 慶応3年に魚雷の元祖が出来上がりましたが、 イギリス人が作ったのですが、場所はイギリス
 
ではなく、地中海に面した、当時は、オーストリーの軍港だったのですが、現在の旧ユーゴスラビア
 
クロアチアの軍港の工場で作られ、 それをロシア海軍が買って、黒海での海戦に使用し、 トルコ
 
の軍艦を一撃で撃沈したのです。
 
 
 
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                世界で初めて魚雷が作られた、クロアチアの 旧 フェーメ 軍港  
 
 
 
 
    その話を聞いた、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、清国、オランダ、などが、競って
 
    この新兵器を買い求めたのです。
 
 
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        そのうち、世界各国で、分解され研究され、 類似品が、出来ていくのですが、
 
        問題は、推進装置と、深度調整装置であったのです。
 
        早く進みませんと、敵の船は逃げてしまいますし、 航続力が長くないといけません。
 
 
 
 
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        日本が、黒船だの尊皇攘夷などと、大騒ぎしていた頃、世界では、 この魚雷の研究に
 
        随分と力を入れていたようです。
 
        この魚雷を、イギリス海軍が、小型のボートに積み込んで、トッピードボートを
 
        建造したのが、1877年の事で、日本の明治に直すと、明治10年となります。
 
        この27トン程度の船を、 ライトニング と呼びまして、 配備していき、
 
        世界各国も、大きな戦艦よりも、攻撃力が強く、安く配備できることから、どんどん
 
        水雷艇の建造が広まっていったようです。
 
 
 
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        そして、日本が水雷艇を配備を始めたのは、明治13年頃、イギリスのヤーロー社
 
        に、日本が水雷艇を発注し、明治15年に、フェーメのシュッワルッコップ社に魚雷
 
        50本を発注し、当時輸入して、 明治18年に、我が海軍に配備されたのです。
 
        入船海軍大尉殿が、「 だれかこの輸入された、魚雷の名前を知っておる者はおるか。」
 
        と、問いかけがあり、 誰も手をあげないので、私が手をあげたのでした。
 
 
 
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        「 よし、 後の貴様、いうてみぃ。」と、 許可が下りたので、「 はっ、 それは、一つは、
 
         朱式魚雷、 もうひとつは、 保式魚雷と呼びます。」と、 発言すると、「 よし、 模範
 
        解答である。 着席せよ。」と、許可をいただいて、着席したのです。
 
 
 
 
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        入船海軍大尉殿は、「 よいか、 ここは、よく考査【テスト】に出題される
 
        重要な部分である、なぜ、朱式魚雷というかと言えば、 オーストリーのシュッワ
 
        ルッコップ社の魚雷と言うことで、朱式 【しゅしき】魚雷、 イギリスの、ホワイト
 
        ヘッド式魚雷を、 保式【ほしき】魚雷という。」
 
 
        「 よし、みんなで大声で、そらんじる、  朱式魚雷は、シュワルッコップ社の魚雷、
 
 
         声が小さい、腹に力を入れて、声を出せ。」   と、 こんな授業が続いたのでした。
 
 
 
【次回に続く。】