第884回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第883話 海軍兵学校 消火訓練の事。 2014年7月24日 木曜日の投稿です。
ずいぶん、 観閲行進の練習を、古田中 海軍大尉殿の指導で、訓練させられたと
言うお話は紹介しましたが、 3月に入りまして、 行進だけでなく、 剣道などの
展示訓練も、合わせて行われまして、 私達は、足の裏が、腫れるほど、ずいぶん
やらされたのです。
兵学校内の噂では、 東京からだれか偉い人が、来校され、 その人に見せるための
訓練ではないかと、そんな噂が飛び交っていたのです。
月は、変わって、大正11年3月に入りますと、 これらの訓練が、さらに激しくなりまして
私達は、 「 まるで、陸軍の初年兵のようや。」と、 目的を告げられない、訓練に
陰口をたたいていたのです。
以前お話を紹介しましたが、 大正10年の2月11日に、 あの手この手で、予算を
つけて養廣館 という、西洋風の建物と、和風の建物が、海軍兵学校に当時のお金で
3万3千円という、お金で、建築されたのですが、1ヶ月もしないうちに、洋館の方が、
3月6日の日曜日の午後、不審火で、焼け落ちたという、お話を紹介したのですが、
その事件から、野元大尉殿の自殺を経て、 1年が経ち、 再建されぬまま、 3月を
迎えたのでした。
教頭先生の 丹生 猛彦 海軍大佐殿が、「 全員、注目、本日は、昨年不幸にも
火災が発生し、酒保の一部が焼失したのであるが、 今後このような事が無いよう
あーーーー、分隊事に、防火訓練を行うこととする。
各員、訓練と思って、 気を抜かぬよう、 訓練に望むように、 以上、終わり。」と、
こういう、 訓示があったのでした。
私達は、大正11年3月6日 まだ水が冷たい中、 消火訓練をすることになった
のでした。
【次回に続く。】