第885回 昭和の伝道師【戦中。戦後のパイロットの物語】
第884話 海軍兵学校 消火演習の事。 2014年7月25日 金曜日の投稿です。
以前紹介しましたが、大正10年3月6日日曜日の海軍兵学校 養廣館の洋館全焼
事件は、 海軍の酒保の物資を横流ししていた、職員が、生徒の不在の日曜日に、証拠隠滅の
ため、 監査前に、放火した事が、原因であったと、推測されていたのですが、 その職員の
身元保証人であった、野元海軍大尉をかばうというか、 証拠が無かったのか、 その職員
を解雇して、それで終わりにしたのは、校長の 千坂 智次郎 海軍中将でした。
その後、 その解雇した職員が、3ヶ月後の、大正10年6月16日 木曜日 教官監事の
岩崎 猛 海軍中佐の官舎に、江田島在住の元海軍機関兵と、2名で、 窃盗に入るという事件
が発生し、 逃亡の末、 18日の土曜日に、地元の警察に逮捕され、いもずる式に余罪が
追及される中、 責任を感じられた、野元大尉殿が、 私達が入学して、 すぐ、自決されたのは
紹介した通りです。
日曜日は、以前紹介したのですが、生徒は、江田島内の生徒倶楽部に、遊びに行くことに
なっていまして、 出火当時、 兵力の主軸である生徒が在校せず、消火活動は、教員、教官
などで行われ、学校から生徒倶楽部への連絡などの対応が、遅れたのが反省点であったのです。
駆けつけるという、そういう想定での、消火演習でありました。
昨年、チフスが発生し、長らく、外出が禁止され、面白くなかったのですが、この頃になりますと、
生徒倶楽部でくつろげるようになったのですが、 「 非常招集、 急げーーー。」と、号令が
かかりますと、私達は、 「 わっしょい、わっしょい。」のかけ声で、 駆け足で、兵学校に
向かったのです。
江田島の人達は、何が始まったのかと、 珍しそうに見ていましたが、多くの生徒が
遅れてはならじと、江田島の海岸を走るわけで、 みんな最後になっては、制裁訓練という
事が頭に浮かび、 必死に駆け足をしたのです。
裏の通用門で、 「 第17分隊、 ただいま帰隊いたしました。」と申告しますと、
「すぐ、大講堂前に集合せよ。」と、命令がありまして、 私達は、急いで駆けつけ
たのです。
整列して、待っていますと、今回新しく消防ポンプなる機械が配置されたという
ことで、その操作方法を、 講習を受けることになったのでした。
分隊が、 まだ肌寒い3月初旬、 勢いよく水を放水していたのです。
「 ほーーーーーう、あれが、消防ポンプちゅーー機械かいな。」と、 眺めて
見たのでした。
【次回に続く。】