第888回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年3月6日の防火演習においては、先般紹介したような具合で、我が分隊は、下手を
打ちまして、 大恥をかいてしまい、 名誉挽回を計画し、分隊伍長の中俣 勇 1号生徒殿は、
分隊44名を集めまして、 訓示を行われたのです。
「 おまんら、 絶対、明日の角力の試合には、 1人、2人倒す心構えで、 がんばってたもんせ。」
と、鹿児島のお国言葉で、激を飛ばされたのです。
海軍の角力【かくりき】とは、戦後で言う、大相撲の事でして、 当時はよく似たルールで
は6月以後になって、授業が行われる事が多かったのです。
対戦する、分隊の生徒が、順番に土俵に上がり、 勝ち抜き戦で、 1人で10人
倒す生徒もいれば、 一度も勝つことなく、負ける生徒も出て来るわけです。
しばらくしますと、 分隊伍長補の作間 英邇 1号生徒殿が、 「それでは、明日の
布陣を、申し渡す。
先鋒 【せんぽう】 木梨 鷹一 【大分県出身 後の海軍少将 】 。」
と、発表があると、 周囲はどよめいたのでした。
普通は、 3号生徒のハンモックナンバーの多い順に、相撲に出るのですが、
木梨生徒殿は、2号生徒であったのです。
作間 分隊伍長補殿が、「 木梨、 貴様は第51期の生徒の中で、成績がビリケツで
ある、 この際、 この汚名を挽回し、 我が分隊の先鋒として、相手の3号生徒を
撃退を命ず。」と、命令がありまして、 シーーン と、緊張した雰囲気になったのです。
分隊伍長の中俣生徒殿が、「 木梨、腹をくくって、 1番やりをつけてくるでごあす。」と、
激を飛ばされたのです。
たてる事になる木梨 鷹一 閣下は、当時、ひょろっとした体格で、 何をしても、
残念ながらクラスの中で最後でありまして、大分県では、秀才であったのですが、
海軍兵学校では、 不名誉なビリケツのハンモックナンバーを、急速浮上したり、急速潜行
されたり、していたのでした。
作間 分隊伍長補殿は、「 次、 次鋒 【じほう】 淵田 美津雄 。」と、叫ばれまして、
私は、背筋を伸ばして、「 はっ。」と、返事をしたのでした。
作間生徒殿が、「 淵田生徒は、この中の3号生徒の中で、番号が先任であり、背が
一番高い、 貴様は、その長身を生かし、 相手を少しでも倒して、 相手の分隊の
力を添いで、後につなげ。」と、指示がありまして、 私は2番目に土俵に上がることに
なったのでした。
【次回に続く。】