第888回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第887話  海軍兵学校 角力の事。    2014年7月28日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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   大正11年3月6日の防火演習においては、先般紹介したような具合で、我が分隊は、下手を
 
  打ちまして、 大恥をかいてしまい、 名誉挽回を計画し、分隊伍長の中俣 勇 1号生徒殿は、
 
  分隊44名を集めまして、 訓示を行われたのです。
 
  「 おまんら、 絶対、明日の角力の試合には、 1人、2人倒す心構えで、 がんばってたもんせ。」
 
  と、鹿児島のお国言葉で、激を飛ばされたのです。
 
  
 
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         海軍の角力【かくりき】とは、戦後で言う、大相撲の事でして、 当時はよく似たルールで
 
        ありましたが、 角力 と呼びまして、兵学校の授業の中にもあったのですが、 通常
 
        は6月以後になって、授業が行われる事が多かったのです。
 
        対戦する、分隊の生徒が、順番に土俵に上がり、 勝ち抜き戦で、 1人で10人
 
        倒す生徒もいれば、 一度も勝つことなく、負ける生徒も出て来るわけです。
 
        
 
        しばらくしますと、 分隊伍長補の作間 英邇 1号生徒殿が、 「それでは、明日の
 
        布陣を、申し渡す。
 
            先鋒 【せんぽう】 木梨 鷹一 【大分県出身  後の海軍少将 】 。」
 
        と、発表があると、 周囲はどよめいたのでした。
 
        普通は、 3号生徒のハンモックナンバーの多い順に、相撲に出るのですが、
 
        木梨生徒殿は、2号生徒であったのです。
 
       作間 分隊伍長補殿が、「 木梨、 貴様は第51期の生徒の中で、成績がビリケツで
 
       ある、 この際、 この汚名を挽回し、 我が分隊の先鋒として、相手の3号生徒を
 
       撃退を命ず。」と、命令がありまして、 シーーン と、緊張した雰囲気になったのです。
 
       分隊伍長の中俣生徒殿が、「 木梨、腹をくくって、 1番やりをつけてくるでごあす。」と、
 
       激を飛ばされたのです。
 
 
 
 
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         その後、潜水艦で、アメリカの空母などを撃沈し、 大日本帝国海軍随一の武勲を
 
         たてる事になる木梨 鷹一 閣下は、当時、ひょろっとした体格で、 何をしても、
 
         残念ながらクラスの中で最後でありまして、大分県では、秀才であったのですが、
 
       海軍兵学校では、 不名誉なビリケツのハンモックナンバーを、急速浮上したり、急速潜行
 
       されたり、していたのでした。
 
 
 
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       作間 分隊伍長補殿は、「 次、  次鋒 【じほう】  淵田 美津雄 。」と、叫ばれまして、
 
       私は、背筋を伸ばして、「 はっ。」と、返事をしたのでした。
 
              作間生徒殿が、「 淵田生徒は、この中の3号生徒の中で、番号が先任であり、背が
 
       一番高い、 貴様は、その長身を生かし、 相手を少しでも倒して、 相手の分隊
 
       力を添いで、後につなげ。」と、指示がありまして、 私は2番目に土俵に上がることに
 
       なったのでした。
 
 
【次回に続く。】