第891回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
の沖合に係留中の、航空母艦 鳳翔 【ほうしょう】の艤装工事、早期再開が、希望されるようになって
いったのです。
空母 鳳翔というのは、大正8年から、当時横浜の浅野造船所というところで起工され
私が兵学校に入学した年の大正10年11月13日に、船体が2年の歳月をかけて出来上がり、
のあおりを受けて、 工事が中断され、横須賀海軍工廠の沖合で、係留されたままになっていた
のでした。
のですが、 全体の海軍の予算がカットされ、 以前紹介した、高橋 是清内閣の第45回
帝国議会の混乱が1月から続いて、 予算執行が出来ず、そのままになっていたのです。
注目を集めたのですが、当時は軍事機密で、 詳細はよくわからなかったというのが、本当の
所でした。
その後の情報を紹介すると、 10年程度経って、廃艦予定の艦艇の上部構造物を取り払い
垂直に鉄骨を仮設で立てらして、屋根のように、飛行甲板を全通で通した実験データー取得
用の仮設艦艇であったのです。
速力は15ノット程度しか出せない、弱い推進力の艦艇で、乗員は468名でありました。
みなさん、煙突の位置に注目していただくと良いのですが、当時、日本海軍も苦労していたのが
煙突の煙をどう処理するか、 モクモク煙が出ますと、 飛び立つときはそうでもないのですが、
着艦する時に、大きな障害になっていくのです。
この航空母艦は、 実験用のデータ収集用艦艇で、この空母で得られた貴重なデーターは
パイロットが当時いなかったようです。
そこで、陸上基地で、急いで志願者を募り、養成することになっていったようです。
「 自殺行為だ。」と言って、 行う人がいなかったようです。
そんなことは、当時は軍事機密で日本は知りませんので、 「 アメリカに先を越された。」
飛行機というものは、 滑走距離がどの程度必要か、 着艦距離はどの程度必要か、
艦艇で、第5戦速で航行すると、 飛行甲板の上は、風速はいくらになるのか、そういう
データーが当時皆無でありまして、 その実験収集が行われる事となったのです。
これらの危険な実験は志願者を募る事となったのですが、 ある海軍少佐殿が
日本で初めて、 挑戦されることになっていったのでした。
【次回に続く。】