第909回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年の4月16日の日曜日 私達は、食事というのは、炊事の小僧に、前日、にぎりめし
を作ってもらい、 それを持参して、それで済ませるのがほとんどでありました。
生徒倶楽部では、 お茶、菓子程度だったのですが、 記憶によると、 倶楽部のおじさんだったか
ご近所だったか、 記憶が薄いのですが、 当時、江田島では、4月に入りますと、めばる と
言う魚が釣れ出すのだそうです。
聞いた話では、 岩場や、藻場の中に潜んでいる、そんな魚だそうですが、私は、奈良の山村
育ちで、 海の事は当時はよく知らなかったのです。
誰が 魚を採られたかは、知らないのですが、 生徒倶楽部の川口のおばさんが、
「 みなさん、 メバルの生きのよいのが、入りましたから、お昼に少し、作ってあげま
しょうね、 刺身でもえーーんじゃが、 煮付けにしたら、なかなかおいしいけぇ。」と、
こんなお話があったのです。
実は、その後知ったのですが、 海軍兵学校の正面玄関のような、 船着き場で、
少し、エサのような、まきエビのような物を、 海面に少し撒きますと、上から見て
いると、下から、そう、体長が10センチ程度でしょうか、大きな口を広げてプカプカと
泳いで来まして、釣り糸をたれますと、釣り堀のような感じで、よく釣れるのですが、
恐れ多くも、海軍兵学校の正面玄関で、そんなことは出来ませんが、 この時期に
なると、この界隈では、当時はよく釣れる魚でありました。
どのようにするかというと、 出刃包丁で、両面のうろこをきれいに取りまして、腹を
一文字にすっと切って、 出刃のはばき元で、 えぐるようにして、内臓を出して、
さっと洗浄します。
昆布でだし汁を作って、 醤油、みりん、ショウガの刻んだ物を入れて、汁を作り、 その中に
メバルや、豆腐、ネギなどを入れて、 コトコト煮込むのです。
刺身も美味しいのですが、 この煮付けもなかなか美味しい物でして、 みなさんも
機会がありましたら、 楽しんで見ていただくとよいと思います。
私も、日曜日に、色々データーをとって見たのですが、 砂地の砂浜では、釣れません
で、 どちらかというと、 岩がごつごつしているような、海岸の少し出たところの沿岸で
しょうか、 魚というのは、 潮の満ち引きの動きがあるときでないと、不思議と釣れない
もので、 午前中、 当地は、朝方から、満ち潮と言って、 水位が上昇してきます。
この朝の早朝より、潮が上がって行く時間帯がチャンスですが、 服装検査などで
大概時間が間に合いません。
昼の11時前後に、満潮になるのですが、 その後13時程度まで、まったく釣れなくな
ります。
そして、14時から、 今度は引き潮と言って、 水位が下がっていくのですが、
17時から18時にかけて、 潮が引いていくわけです。
引いて行く、過程で、また不思議なことに、 魚が釣れるのです。
こう言う事は、地元の小僧か、 おばさんに、聞くのが1番手っ取り早いことでして、
上手に休日を利用しますと、 また紹介して行きますが、 兵学校の食堂では食べ
れない珍味を味わえるわけです。
当時、私は葛城の山村の出でしたので、 魚はあまり食べたことが無かったのですが、
いやはや、 食べて見ますと、美味しい物でして、 同期の生徒と、 内緒で楽しんで
いたのです。
生徒倶楽部の縁側で、本を見て楽しんでいると、 ぷーーんと、よい匂いが
してきまして、 醤油とショウガの煮込むにおいです、 なんともよい匂いでして、
しばらくしますと、 生徒倶楽部のおばさんが、「 みなさん、できましたけぇ。」と、
わきとりに入れて、【おぼんのこと】私たちのほうに運んでこられまして、みんな
嬉しく喜んだのを覚えています。
「 そろそろ、竹藪に、タケノコが出る季節じゃけぇね、 少し頂き物があったので、
一緒に煮てみましたけぇ。」と、 みんなの前に、 魚が出されたのです。
また、タケノコが、コリコリして、 醤油の汁と調和しまして、なんともよい味で
ありました。
私達は、日ごろの海軍兵学校のつらい日常を忘れて、 魚の煮付けに
舌鼓をうったのでした。
【次回に続く。】