第910回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第909話  海軍兵学校 江田島憲兵隊が上陸スの事   2014年8月19日火曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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   大正11年の4月16日の日曜日のこと、私達は、川口生徒倶楽部のおばさんが、メバル
 
煮付け料理を昼の時間に出していただいて、舌鼓をうっていると、 同じ分隊の宮地 美枝生徒
 
【 のちの海軍中佐 高知県出身】が、私に向かって、「 貴様、魚の食べ方が下手くそぜよ。」と
 
言う物ですから、「 どこが、まずいねん。」と、言いますと、 「 貴様は、魚の上ばかり食べて、
 
腹や、ほほの身を、ひとつも食べてないではないか、もったいない。」と、こう指摘を受けたのです。
 
せっかく、人が、気分よく魚を食べているのに、 ヘンなことを言うやっちゃと、むっとしていると、
 
川口のおばさんが、 「 生徒さん、 こうやると、おいしいんよ。」と、 そばにそっとよってこられて、
 
すると、化粧の匂いと言いますか、 ご婦人独特の匂いがして、 私の箸を持っている右手をそっと
 
 
 
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やさしく手をとりまして、 私は、躊躇していると、 「 めばる いうんは、 こうしてね、 ここ、ほほの
 
この部分を、 こうして、いただくと、美味しいけーね、 ほんでね、 骨がましいけぇ、腹は嫌いな
 
人が多いけーどが、 こぎゃーにして身をとると、まだまだたべられるけぇ、 たべてみぃ。」と、 ご指導
 
いただきますと、 普段、ご婦人方には縁のない身の上、 ゆでだこの様に赤い顔になってしまい、
 
みんなに大笑いされたのでした。
 
 
 
 
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   そんな話をしていると、おばさんが、 「 そりゃーそうと、なにゅー、呉のほうから、憲兵隊と
 
 
巡査がようけ江田島に来てから、「 変な人はおりゃせんか。」とか、 ここ数日聞いてまわりょうるん
 
じゃがね、変なこと聞くけど、兵学校でなんかあるん。」と、 聞く物ですから、「 はてーーー、
 
なんも、知らされとらんのんや。」と、言うと、 渥美生徒が、「 おばさん、あのさー、そんなに大勢
 
憲兵隊がこちらに上陸してきているのですか。」と、聞くと、 「 そりゃーーそうじゃん、ざっと、100
 
人以上、おるおもうんよ。」と、言うので、 私達は、顔を見合わせたのです。  
 
 
陸軍の憲兵隊とは、戦後の自衛隊の警務隊のような組織でありましたが、戦後と、当時とが大きく
 
違うのは、日本の男子には徴兵制というのがありまして、 当時、記憶によると、事前に徴兵検査
 
 
 
 
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         と言うのがあるのです。
 
         そして、 身体障害者でない人は、徴兵検査に合格して、 20歳になりますと、最寄りの
 
         指定の陸軍の連隊に、2年間兵役に就かないといけなかったのです。
 
 
 
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       2年間、二等兵から一等兵で、陸軍の中ですごしますと、 娑婆 【しゃば 一般の
 
    社会生活】に戻って来まして、 ある人は、警察官になったり、 いろんな仕事に就くわけです。
 
    そういうことが、明治の初めから、 40年も続きますと、 一般社会の社会人は、ほとんどが
 
    退役軍人という形になるわけです。
 
 
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       そうしますと、 地域、地域で、退役軍人の会なるものが当時多数出来まして、 
 
    一般社会でも、 軍人時代の階級が、 娑婆でも、序列をつけるようになっていったのです。
 
   例えば、 同じ近所でも、 となりは陸軍軍曹の家で、 こちらは、陸軍一等兵の家としますと、
 
   理不尽なことをされましても、文句が言えないような、 そういう社会になっていったのです。
 
    そういう、大正時代の一般社会において、 陸軍の憲兵隊は、 別格の存在となっていき、
 
 
 
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          一般の警察官も、陸軍の退役者が多かったので、 憲兵隊と聞くと、頭を下げて、
 
          ぺこぺこしていくと、 こういう現象が起きていき、 だんだん、憲兵隊は、陸軍の中
 
          の警察組織の垣根を越えまして、 一般社会にも、出ていくようになったのです。
 
 
 
 
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           そして、 昭和16年 陸軍の東条英機陸軍大将が、 内閣総理大臣になりますと
 
         その横暴は、目に余るようになっていきます。
 
         彼等につかまって、 ひっ張られますと、 竹刀で、 叩くは、突くは、当たり前で、
 
         顔の形が変わるほどの暴行を加えるのは、日常茶飯事で、 容疑者が死亡しても
 
         通常の警察署では、 手が出せなかったのです。
 
 
 
 
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         それほど、 恐れられた組織でありまし、 そういう組織に入った、若い連中が、
 
         軽はずみな行動をとって、暴言を吐いたり、越権行為や、暴力沙汰を起こすことが、
 
         多かったのです。
 
 
 
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         私達は、 食後のお茶をよばれながら、「 さてーーー、 なにもしらへんのや。」
 
         と、いいながら、 兵学校の周囲で、 不穏な動きを聞いて、 当時、心配したのでした。
 
 
 
【次回に続く。】