第912回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
【 広島市の被災者にお見舞い申し上げます。 】
初めに、ニュースで、安部内閣総理大臣が、休みを切り上げて、東京に戻って
緊急対策をーーー云々というのは、ニュースで知りました。
昨夜、 救助の消防署の方が、子供を抱えて救助中、2次崩落に巻き込まれ殉職、
90人近くお亡くなりになると言う悲報に接し、 心が痛みました。
2週間前に、このブログの第992回のお話で、アイスクリームを使用して、斜面崩壊の
メカニズムと、いくら価格が安くとも、 崖の近くとか、 河川の近くのマイホームを買う物
では無いというお話をしたのですが、ーーーーーーーーー。
この人達の死を無駄にしない意味でも、時間があったら、もう一度、記事を閲覧いただいて、
参考にしていただけたらと思います。
テレビ中継の画像は、1番下の崩壊現場を主に撮影報道していたのですが、
僕としては、 上部 の崩壊現場の始まりを空撮して、紹介してもらうと、どういう原因で
水が発生して、土石流が発生し、 次に崩壊があるかないかが、わかるのです。
まだ大量に水が流れているようで、報道の人も、 気おつけて取材していただけたらと
思います。
大正11年 4月17日から、 訓練が始まった剣道の野外での訓練は、教練の担当の
古田中 生徒監事殿の 怒号と、笛が響く中、「 面、 面、面、面。」と、大声で、発声が
続いて、 いよいよ、切り返しに入ったのです。
切り返し 【きりかえし】 稽古というのは、 素振り、打ち込みの教練が終わりますと、次に
練習する練習項目でありまして、 面などの防具を装着し、1番はじめに教わる、初歩的な
練習です。
どんな練習方法かと言えば、 二人組で、間隔をとってひらきまして、そんきょの姿勢で、
竹刀の切っ先を合わせまして、 そのまま立ち姿に至り、正眼に構えて、 どちらかが、
打太刀 もう一方が、仕太刀 と言いまして、 うちだち、 しだち と、別れて、 打ち合い
の練習をするのです。
私は、 渥美生徒と、 相対しまして、 古田中 幹事殿が、「 ぴぃーーーーー。」と、
始まりの合図の、笛を吹きますと、 「 やぁーーーーーーっ、 めーーーーーーん。」と、
まず、打ち込んでいきまして、 右から、斜めに、 面を打ち、 次に、 左に面を打ち、
仕太刀の 渥美生徒は、 竹刀を垂直に立てらしまして、 私が打ち込むのを、竹刀で
右に、左に受けるのです。
そして、前進していって、 しばらくして、後退して元の位置に戻ると、 今度は正面から
相手の面を、 「 やぁーーーーーーっ、 めっんーーーーーー。」と、打ち込んで、
の相手の後に、打って抜けまして、 相手の後側に抜けて、 残心をしめしつつ、
後に振り向いて、 さらに、「 やぁーーーーーっ、めっーーーん。」と、打ち込んで、
素早く、後から、元の位置に、残心をしめしながら、打って戻るわけです。
これをお互い繰り返すのです。
なれれば、 なかなか面白いのですが、 なれるまでが大変でありまして、
下の床が道場ですと、板間で、そうでもないのですが、練兵場の土ですと、
あんまり踏み込みを大きくしますと、足の裏に響いて、大変であったのです。
古田中 監事殿が、「 竹刀の動きを、声に合わせて、 みなが、合わすように心がけよ。」
と、大声で通達があり、 ハンドマイクもない時代、訓練を統率する、監事殿も大変であり
ました。
【次回に続く。】