第914回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年4月25日からの一週間、私達の分隊の訓練というのは、 実は、ランチを
縦従陣を組みまして、 縦の線が乱れぬよう、一列に保つ訓練でありました。
まあーーこの訓練、 ずいぶんと楽ちんでありまして、 剣道や、角力や、
「 あーーー、極楽やナーーー。」と、 周囲の生徒と、訓練に参加していたのです。
何でこんな事をさせられるのか、 当時は、 「命令は天皇陛下の命令と心得よ。」
と、 こんな風潮でありまして、こちらから質問したりすることは、禁止となっていて、
訓練を指導している、 監事附の曹長殿も、 首をかしげていたので、 訓練の
目的は、全くわからなかったようで、 兵学校全体には、 何がなにやら、理由を
しらされぬまま、 ここ数ヶ月推移していたのです。
大正11年5月1日 月が変わりまして、 朝方の訓示で、私達に知らされたのは、次の
ような事でありました。
教頭の 丹生 猛彦 海軍大佐殿が、「 全員注目、 5月8日、 大英帝国の皇太子
為に立ち寄られ、 参詣されることとなった。
あーーっ、 ついては、 その参詣後、 短時間ではあるが、本校を親善訪問される予定
である。
皇太子殿下が、 本校を訪問中、粗相があってはならぬし、 兵学校周辺の警備も、本日より
特別な警戒態勢をとり、 万が一に備える。
諸氏は、 いっそう、観閲行進、 親善の行事として行われる角力、砲術、剣道の行事の
訓練に磨きをかけるように、 以上終わり。」と、 私達に、伝達があったのでした。
私は、 伝達の話を聞いて、呉からの200名近い、陸戦隊の上陸など、一連の
不可解な訓練の意味合いがやっとわかったのでした。