第918回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
イギリスの軍艦に、兵学校の出迎えの機動連絡船が、出迎えに行き、 折り返し、海軍
兵学校の正門に向かって、 こちらに向かってきますと、「 ピィーーッ。」と、笛が
鳴り響きますと、私達は、訓練通り、 オールを垂直に立てらせまして、 機動連絡船が
通過するのを待ったのです。
機動連絡船は、目の前をあっという間に通過してしまい、海軍兵学校の正門に
向かって行ってしまいました。
私達洋上出迎えの生徒には、観閲も、なにも、あったものではありません。
私のランチの責任者の1号生徒の上杉 義男 生徒殿は、艇尾にあって、敬礼しながら
前のランチと、縦従陣が乱れないよう、 ずいぶんと神経を使われておられました。
出迎えに、機動連絡船に乗られていたのは、 教頭兼監事長の丹生 猛彦 海軍大佐
殿であったようで、 海軍兵学校の正門の船着き場に接岸しますと、1番はじめに
上陸し、 出迎えの校長の千坂 智次郎 海軍中将の後に回られ、敬礼されたのです。
到着しますと、 盛大にラッパ信号が鳴らされまして、 イギリス王室のエドワード
皇太子殿下到着の合図が、送られたのです。
ラッパ信号が鳴りますと、 呉鎮守府から来ていた、軍楽隊の歓迎の
音楽が演奏が開始され、 待機していた生徒は、背筋を伸ばして整列し、
最高の儀礼で、王室一行をお迎えしたのです。
それらの前を、イギリス王室一行は、通り過ぎますと、 摂政裕仁殿下の弟、
進まれていったそうです。
当時、私は食事会には、出入りできなかったのですが、 後日聞いた話では、
主計課が、 西洋料理風の特別料理を作りまして、 王室一行にふるまったと
聞いています。
兵学校職員の子供は、 従道小学校の制服で、 男性教員は、 背広にシルクハット
女性教員は、和服で、 また、 武官の奥方は、着物の、晴れ着での整列となり、
ご婦人方は、 大切な嫁入り道具の和服を着込んで、 それは、それは、 大変
そうでした。
なにしろ、あんまり地味な物では困りますし、 派手な物でも目立ちますし、 ずいぶんと
当時、気を使われたようです。
文官教官は、 モーニング姿に、 山高帽子という、姿でした。
【次回に続く。】