第919回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第918話  海軍兵学校 観閲行進の事。       2014年8月28日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
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    大正11年5月8日 月曜日の昼過ぎ、 私たちは江田内の海上で待機となり、 
 
    渥美生徒が、 「 淵やん、 腹が減った。」と、 言うので、私も、「 あーーー腹が減った。」と、
 
    周囲の生徒と話していると、  兵学校の護岸から、 一隻のランチがスイスイ、こちらに来
 
    まして、先頭のランチのほうに、 横ずけして、 昼の弁当を配給しているようでありました。
 
    次第に、 私たちのほうのランチにも近づいてきまして、 一番後部に座っていた、上杉
 
    義男 生徒殿の前で、 「 第17分隊用の昼の糧食の配給にまいりました。」と、 敬礼して
 
    私たちに、 竹の皮で包んだ、握り飯と、アルマイトの薬缶が2つ、 補給が行われたのです。
 
     どこかで聞いた声と、よく見ると、 なんと、前の分隊で、一緒であった、井上 武雄生徒で
 
     ありました。
 
 
 
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     私は、「  おーーう、まっとったんやがな。」と、 声をかけると、「 もう少ししたら、歓迎行事が
 
      はじまるだっぺや。」と、言うので、 「  握り飯 を食べながら、見学や。」と、 そんな感じで
 
      竹の皮の握り飯を受け取ったのです。
 
      井上生徒が、「  以上、補給終わり、 薬缶は、 終了後、 小僧の【食堂に】ところに、
 
      返却せよとのことずけであります。」と、 井上君が、敬礼すると、 上杉生徒殿が、
 
      「 うむ、 ご苦労。」と言って、敬礼すると、 次の、ランチに向かって、移動していったのです。
 
      上杉生徒殿が、 「 全員、注目、 これより昼の糧食とする。」と、 命令を出しますと、
 
      私たちは、一斉に、 竹の皮をあけて、握り飯に、食らいついたのでした。
 
 
 
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        ちょうど、お昼すぎの1300時より、 数か月訓練した、 歓迎行事が始まったのです。
 
        一番初めは、 観閲行進でありました。
 
 
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        多くの人たちが見守る中、  1号生徒主体の観閲行進が始まったのです。
 
      呉鎮守府の音楽隊が、 軍艦 と呼ばれる音楽を演奏する中、 海軍兵学校 第50期
 
      の生徒を主体とする、 生徒隊、約250名程度の 観閲行進がスタートしたのです。
 
 
 
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     先頭は、 第50期の1号生徒の中の首席の成績の、中野 實 生徒殿 【後の海軍大佐
 
     広島県 出身】 が、観閲行進指揮官を務め、  次の 指揮官補には、 成績が次席の、
 
     築田 収 生徒殿 【 のちの海軍大佐 造兵監督官 広島県出身】 が続き、 次の旗手
 
     には、 ハンモックナンバー3番の、 大前 敏一 生徒殿【 海軍軍令部 作戦課長 のちの
 
     海軍大佐、 大阪府出身】が続いたのです。
 
 
 
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     当時、 1号生徒のハンモックナンバーの、1番、2番は、広島県出身者で占められ、
 
     海軍兵学校は、 付属高校のように、 入試問題を研究していた、広島1中や、修道中学
 
     が、存在していたことで、 多くの優秀な入校者がいたのです。
 
     私のランチの指揮官の 上杉 義男 生徒殿も広島県福山市の誠之館 中学の出身で
 
     ありましたし、私と同期の、源田 實 生徒 【 のちの航空幕僚長 参議院議員】に至っては、
 
     1学年飛び越えての、飛び入学で、彼も、広島第一中学【 現在の広島県立 国泰寺高校】の
 
     秀才でありました。
 
 
 
【次回に続く。】