第920回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第919話  海軍兵学校、歓迎行事の事。        2014年8月29日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
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     海軍兵学校、1号生徒 第50期 首席の 中野 實 生徒殿を指揮官とする、
 
観閲行進部隊の、行進が始まり、 呉鎮守府から江田島に来ていた軍楽隊の 軍艦 の
 
 
 
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音楽の演奏で、 海軍兵学校は、 イギリス次期国王の、エドワード皇太子殿下の歓迎行事が最高潮
 
に達したのでした。 
 
 私達は、井上武男生徒が、補給してくれたにぎりめしを、右手に持って、 ほおばりながら、
 
練兵場の方を、見物していたのですが、 立木が邪魔をして、いまひとつよく見えなかったのです。
 
 
 
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    私は、 第50期の首席の中野 實 生徒殿の姿を見て、当時ずいぶん、うらやましく感じた
 
    のです。
 
    隊列の先頭を行進し、 ずいぶん目立ちました。
 
    2番目の次席の 築田 収 生徒殿、 旗手を勤める、3席の大前 敏一 生徒殿、少し離れて、
 
    随伴部隊を指揮する、4席の櫛引 誠雄 生徒殿 その次の、第5席の藤尾 勝夫 生徒殿
 
    の姿を見ますと、 私達の分隊には縁のない人で、 交流もありませんでしたが、ずいぶん
 
    
 
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      ご立派な、お姿で、ついつい、「  えーーなーーーーっ、 わしも、 部隊指揮官
 
      してみたいがな、 あの、片手で持っている、 銀色のサーベルたまらんな。」
 
 
       と、 言うと、渥美生徒が、「 ふちやん、近衛師団に入ると、毎日、分列行進を
 
       させてもらえるよ。」と、 こんな会話をしていると、 ランチの1番後に座っていた、
 
       ランチの指揮官の上杉 義男 生徒殿が、 ずいぶんしょんぼりされていたのを、
 
       私は、 さっと、顔色を見て気がつき、 その後、発言を慎んだのでした。
 
 
 
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            よく考えると、ハンモックナンバーの5席の 藤尾 勝夫 生徒殿は、
 
           広島県 福山市新市町の出身の福山誠之館中学出身で、 ずいぶんと出来
 
           が良く、成績が良かったのですが、 上杉 義男 生徒殿も,広島県福山市出身で、
 
           福山藩の藩校の名門の 誠之館 中学の出身で、なにかと比較されて、良い思い
 
           をされてなかったのでした。
 
 
 
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           同じ、50期の生徒で、 ハンモックナンバーの違いから、 藤尾生徒殿は、歓迎行事の
 
           晴れ舞台、  一方の上杉生徒殿は、 江田内の海上で、にぎりめしを食べている、
 
           ずいぶん、気の毒な事ですが、 戦後になって考えて見ますと、 これらのハンモック
 
           ナンバーの、末尾の生徒が、首席、次席の生徒よりも、 武勲をたて、大東亜戦争
 
           大活躍していくのですが、 前線にいたという、環境が、かえって、東京の軍令部の
 
           机に座って、仕事をしているエリートより、良かったようです。  
 
 
 
 
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            私は、この時、ランチの上で、軍人ともあろう者が、 思いつきで軽々考えを
 
           ペラペラと、語る物では無いと悟ったのでした。
 
           何気ない、 一言が、 周囲の上官の耳に入り、 気分を損なわれ、まずい
 
           発言であったと、後悔したのでありました。
 
 
 
【次回に続く。】