第958回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第957話 海軍兵学校 水練の事。 2014年10月6日 月曜日の投稿です。
海軍兵学校で、水練 【水泳の練習】の授業を受けていたのです。
これらの授業は、 比較的温かくなって授業が行われていたのです。
いつか知らないのですが、 心臓麻痺のような、 水練での事故があったそうで、
当時は、海水に入る前に、海軍体操を、何回もして、体をほぐしてから、海に入って
いました。
以前紹介しましたが、 私は、奈良県立畝傍中学、在学中に、伊勢の観海流の
古式泳法の講習を受けて、ある程度は泳げるようになっていたのです。
全体の中には、 以前紹介した、黒田 吉郎生徒のように、 山間部出身の生徒
は、泳ぎが苦手な生徒もいたのですが、 出来ないではなく、 泳いだ経験が
少ないだけであって、 彼は努力家で,随分早く上達したのです。
全員 運動能力が発達した生徒ばかりなので、 すこしコツを会得すると、上達は
早いわけです。
戦後の水泳教室と違い、 当時の水練がどう違うかと言いますと、 速く泳ぐ必要は
無かったのです。
なるべく、平泳ぎのように、顔を水面から出しまして、 体力の消耗を防ぎ、
長時間浮いていることが求められたのです。
例えば、艦船が沈没した場合、 水面になるべく長時間浮き続け、救助を待つ、
こう言う指導であったのです。
の授業より、 はるかに楽ちんでありまして、 私は、水練の教練を、「 楽勝やなーー
えーー気分やがなーーーー。」と、 当時は楽しんでいたのです。
もう一つの水練の授業は、 全員で列を作って、 体形を整えて、 平泳ぎで水面を
移動する、 水泳の教練でしたが、 これは、前にどんくさい【 鈍い生徒 】 生徒が
いますと、 手が相手の足に当たったりして,前の間と横の間隔を保つのが大変であり
ました。