第964回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第963話  大正の貸しはがし騒動のこと。      2014年10月12日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
    大正11年7月、 シベリア撤退の発表後、1ヶ月して、 舞鶴や小樽での物資の相場が、
 
  暴落し、 多くの戦争成金と呼ばれていた人が破綻していったと言うお話を紹介したのですが、
 
  さらに、景気を悪くしていったのは、 銀行屋と呼ばれる人達が、 火に油を注いでいったのです。
 
 
 
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        陸軍が、小樽で、食料物資などを、高額で買い取っているというお話を聞いた
 
       商社は、 農家から買い付けて、 例えば わかりやすく言えば、100円で仕入れた
 
       商品が、1000円になったわけです。
 
       地方から、北海道の小樽に運搬すると、 輸送コストがかかるのですが、 それを
 
       差し引いても、 随分な利益が出たのです。
 
 
 
 
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       初めは、 自己資本で商売していた人も、相手が陸軍省で、不渡りはないと言う事で、
 
       銀行や、貸し金業者から、 借り入れして、 その資金で、大量に仕入れ、そして
 
       陸軍に納入して、 さらに利益を出し、 それを見ていた、銀行家も、どんどん、
 
       資金供給をしていったのです。 
 
       そして、 昨日紹介したように、地方の商売人も、 利殖の方法で、米を買いだめして
 
       売り惜しみをするようになり、 米の価格が、2倍、3倍、4倍ーーーーと、値上がり
 
       していったのです。
 
 
 
 
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          当時の記憶では、 米、味噌、 缶詰、酒、日用品、 毛皮など、 戦地で
 
          必要な物の価格が高騰していき、 庶民の生活を圧迫して、 以前紹介した
 
          米騒動と呼ばれる、暴動に発展していったのです。
 
 
 
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        人間、1度儲かりますと、パチンコと一緒で、 忘れられなくなり、 どんどん借金を
 
        して、 とことんお金を集め、 米などを買い集め、 いろんな人が小樽などに物資を
 
        輸送して、陸軍に持っていくようになったわけです。 
 
 
 
  
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          当時、めいいっぱい借金して、 小樽に倉庫を建てて、 仮にわかりやすく、10万円
 
         分の商品があったとします。
 
         大正11年7月に、 半額の5万円に下落し、 ここで、 損をして、売りさばいた人は、
 
         元手が半分で、大火傷で済んだのですがーーー、 人間なかなかそうはいきません。
 
         もしかしたら、また 値が戻るだろうとか、 もう少し様子を見ようとか、持ち続けるのも
 
         商売の体力などと、 まごまごしていた人達は、 半年で、 さらに下落して、10万円が
 
         1万円以下に、 暴落していったのです。
 
         
 
 
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          そのような事情で、 為替や、手形の決済が出来ず、不渡りとなり、 1度不渡りを
 
          出しますと、 担保の土地、建物を売り払うことになるのですが、 現在で言う、
 
          不動産ですが、 こちらも、 価格が下落していき、 どんどん、経済が悪化して
 
          いったのです。
 
          日本全国の銀行は、 シベリア撤退で、 陸軍の特需は終わったと考え、貸し出しして
 
          いた資金を、 我先に、回収に力を入れていくようになったのです。
 
          戦後の現在で言う,貸しはがし と呼ばれる行為です。
 
          そのため、 商売人はどんどん資金繰りが圧迫され、 日本経済は、奈落の底に
 
          落ちていったのです。
 
 
 
 
 
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       当時、 シベリア撤退と、合わせて進められていた、軍縮で、 各海軍工廠や、
 
       大手造船所の海軍省の事業がストップし、 造船所関連の業者も同様な有様で、
 
       製鉄所などは、 鉄骨、鉄板の製造を停止し、 多くの失業者を出して、 不渡りを
 
       出し、 こちらも、銀行の貸しはがしにあいまして、 多くの経営者が、首を吊ったり
 
       家族共々、夜逃げをしたり、 無理心中をしたりと、 その影響ははかりしれない
 
       物となっていったのです。
 
 
 
 
 
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        当時、 大金を失うのであれば、それ以前に、大金を積んで加藤 友三郎 海軍大将を
 
        早いうちに暗殺しておけば良かったと、言う人達が増えていったのです。
 
        加藤 友三郎 内閣総理大臣は、 海軍の軍人でしたから、 そのような事情など
 
        関係なく、 どんどん軍縮を進めていったのです。
 
        そして、 どんどん、経済が 混乱し、破綻していったのです。
 
 
 
 
 
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    その結果、 小規模な金融機関は、貸出金が回収出来なくなり、 破綻して行ったのです。
 
    銀行が貸し出している資金は、 庶民から預金を集めて、貸し出して、利息で儲けるわけ
 
    ですから、 その減資が焦げ付いてしまい、 貸出先が、 多数倒産してしまいますと、
 
    どんどん、不良債権が増していき、 担保に取っている土地、建物も、 買い手に対して、
 
    売り手が多くなり、 売れない土地、建物が増えていき、 貸出金の回収が出来なくなっていき、
 
    そして、銀行が破綻して、 市民の預金が、 紙くずになっていったのです。
 
     みなさんでも、わかりやすく言いますと、 10万円の預金証書が、紙くずになったら
 
     どうしますか、 とりあえず銀行に行って、解約しようと駆けつけるでしょう。
 
 
 
 
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          大正11年当時は、預金者の保護などありませんでしたので、多くの人が、
 
          被害を受けたのです。
 
 
           これらの経済政策の失敗は、 政治から来ていることでして、 もう少しなにがしかの
 
           方法をとって、 こう言う混乱は、政治家が回避すべきだったのです。
 
           
 
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            時の大蔵大臣 市来 乙彦 貴族院議員は、 大蔵官僚の実務家だったのですが、
 
 
           前任の,高橋 是清 内閣総理大臣、兼 大蔵大臣から、 職務を引き継いで、
 
           約半月程度で、 経済恐慌の渦の中心に座ることとなったのです。
 
 
 
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           これらの混乱に、「 それ、いわんことではない。」と、 批判を強めたのは、
 
          野党 憲政会の党首、 三菱財閥の 実質オーナー、 加藤 高明 議員でした。
 
          加藤 高明 さんが、この時期、内閣総理大臣にもしなっていたら、 シベリア撤退
 
           はなく、 駐留が続き、 欧米と対立していたかもしれません。
 
           その後、 いずれにしても、国庫は破綻状態でしたので、だれが総理大臣に
 
           なろうが、 遠からず、経済破綻は来ていたでしょう。
 
           原内閣時代の予算ばらまき政治と、 国債の大量発行、 シベリアでの
 
           戦争の戦費の借金で、 日本の大蔵省の国庫は、 底が見えてしまったのです。
 
 
 
            
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            前の内閣総理大臣、高橋 是清 議員や、 与党 政友会の議員は、海軍の
 
            内閣総理大臣のお手並み拝見と、 物見に徹し、 どんどん、金融恐慌が
 
            進んでいったのです。
 
 
 
          【次回に続く。】