第965回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第964話 海軍 艦隊派の粛正のこと。 2014年10月13日 月曜日の投稿です。
【 大正時代の 海軍 高級幹部 集合写真 】
ような指導者が、 自分と対立する勢力を、武力で殺すことを連想しますが、 今日のお話は
そうではありませんで、 海軍をクビになると言うお話です。
内閣総理大臣 加藤 友三郎 海軍大将が、陸軍に相談なく、 一方的に、摂政殿下の
勅命として、 大正11年の6月25日に、「 同年10月末日を期限として,シベリア出兵から
撤退する。」 と、 新聞記者に発表して、陸軍が反発して、 騒動となり、物資の価格が
暴落し、 経済的混乱が発生していったのは、紹介してきたとおりです。
そして,前任の内閣総理大臣 政友会の総裁、 高橋 是清 さんと、その周辺の議員は、
自分達が、そのまま、内閣総理大臣にとどまり、 第2次高橋 是清内閣を組織しようとしていた
矢先、 元老 西園寺 公望 公と、 海軍省の実質的支配者の 山本 権兵衛海軍大将
の調整で、 総理大臣を続けられなくなり、 一旦下野した関係で、様子見に徹したのです。
金融と財政の専門家の高橋 是清さんでしたら、別の方法をとって、混乱を回避していたかも
しれません。
これらの混乱から、 陸軍の内部には、 薩摩閥の総帥 上原 勇作 陸軍元帥を
頂点に、 海軍の総理大臣、 加藤 友三郎 海軍大将を、暗殺して、主導権を取り戻そう
と、 そういう動きが水面下で動いていったのです。
【 シベリア撤退の反対の中心人物であった、上原 勇作 陸軍元帥 】
上原 勇作 陸軍元帥は、「 海助が出しゃばって、 総理になるから、混乱を起こして、
陸軍をないがしろにして、けしからん、 シベリアには駐留を続けるべきである。」と、
関係者に運動していたのが実情であったのです。
上原元帥の言うように、シベリア撤退をせずに、 そのまま、日本が占領が続けられる
国家の体力があれば、 日本は中国北部から、バイカル湖付近を領有する大帝国に
なっていたと思います、
そんな中、 海軍の中にも、 本省派と呼ばれる、山本 権兵衛 海軍大将の派閥を、
取り除こうとする動きが水面下で進んでいったのです。
以前紹介しましたが、 こう言う人達のことを、 艦隊派 と、当時は呼んでいたのです。
艦隊派の人達は、 戦艦などの建造がストップし、 その後、スクラップになる事を知り、
また、自分達が運用していた、現在の戦艦なども、 スクラップにされ、 日本海軍が弱体化して
いくことに、危機感を持っていたのです。
これらの人達は、 ずぅーーーっと、 軍艦に乗って勤務している人達なので、国際関係には
情報が不足していて、 対外的なことには、 疎かったのですが、 自分達の海軍が弱体化
していくことに、危機感を持ち、 「海軍省の本省派を排除すべし。」と、 末端の水兵まで、
そういうことを考えるようになっていったのです。
先制攻撃を仕掛けたのです。
【次回に続く。】