第969回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第968話  シベリア共和國の金塊搬入の事。     2014年10月17日 金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
          
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    大正11年7月後半、 ロシアのウラジオストックでは、日本人や、ロシア人、欧米人などが
 
    今後の身のあり方について、決断を迫られていたのです。
 
 
 
 
 
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 戦後、ユーラシアのシベリアは、ソビエト連邦という国になっていますが、 大正11年当時、
 
 暗殺で負傷して動けなくなったレーニンの代わりに、スターリンという、御側用人が台頭し、
 
 モスクワの共産党政権と、 オムスクに首都を置く、 日本陸軍が支援していた、シベリア共和国
 
 と言うのがあったのですが、 ここがモスクワの共産党政権と、戦争をして敗北し、 元首の
 
 
 
 
 
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                     【処刑された。 シベリア共和国 コルチャーク 提督 】
 
 
 
          コルチャーク提督が、 モスクワの共産党政権につかまり、 人民裁判にかけ
 
          られて処刑されてしまい、シベリア共和国が崩壊し、当時、バイカル湖の西側に、
 
          別の共産主義国家、ティーヴィーエール共和国というのがあって、 この国と
 
          日本陸軍が戦争していたのですが、大正11年に、日本陸軍 浦塩派遣軍は、
 
 
 
 
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         和平条約を結び、撤退することになったのですが、 共産主義というのは、商売と
 
       宗教を否定し、 全部国家の物だと、商店から物資を略奪していくのは当時のやり方で、
 
       多くの企業、銀行が、危機感を持っていたのです。
 
       現地のウラジオストックの人達も、 日本陸軍が進駐しているので、平和が保たれて
 
       きたのですが、日本陸軍が撤退していなくなると、 その先は、共産党政権の軍隊が
 
       侵入してきて、 略奪行為に走ることは、見えていたからです。
 
       当時、西本願寺などのお寺なども、 ウラジオストックに進出していたのですが、
 
       横浜正金銀行などの日本の金融機関の支店も、 撤退を迫られたのです。
 
 
 
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         そして、ロシア人の中には、亡命を希望する人達が数万人いたのです。
 
         というのは、シベリア共和国の関係者や、軍隊に在籍していた人は、共産党の軍隊が
 
         入ってくると、逮捕されて、人民裁判にかけられて、 処刑されるとわかっていたのです。
 
 
 
 
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         現地の商売人は、 自分の商品を、とりあえず、お金に替えておこうと、たたき売る人や、
 
         家屋敷を処分する人が、続出して、 買い手が見つからないという、 そういう
 
         状態になっていったのです。
 
 
 
 
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            そして、 いままで、あれやこれやと、食料や、物資が集められ、山積みされ
 
            余剰物資となり,日本に持ち帰りましても、 物資の価格は暴落していて、
 
            海上輸送費の方が高くつくと言う事で、 現地で処分すると言う事になって
 
            いったのですが、 この物資を現地で処分したと装って、中国のハルピン経由で
 
            横流しして、軍閥、 張作霖の一派に売却したり、 いろんな事が行われて
 
            いったのです。
 
 
 
 
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            そして、数年後、これらの行為を告発する兵士達が出てきまして,事件と
 
            なっていくのですが、 その元締めというのは、 後の内閣総理大臣になる。
 
            長州閥の実力者  田中 義一 陸軍大将でした。
 
            大正から昭和の前後、 告発者が急死したり、 捜査に当たっていた、担当
 
            検事が暗殺されたりと、 事件が続いていくことになります。
 
 
 
            大正11年7月後半、 大磯の田中 義一 陸軍大将の邸宅に、 姫路第10師団
 
             長、 宇垣 一成 陸軍中将と面談中、 ある、陸軍参謀本部附の高級参謀が、
 
            おとずれたのです。
 
 
 
 
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            訪れたのは、 浦塩特務機関長で、元浦塩派遣軍 参謀長の高柳 保太郎
 
            陸軍少将でした。
 
 
 
 
            「 閣下、 例の品物を、 栃木の連隊倉庫に、搬入を完了しました。」と、報告
 
            すると、 田中 義一 陸軍大将は、「 高柳、 足跡は残さなかったであろうな。」
 
            と、 問うと、「 内部は、だれも、把握していないはずであります。」と、短く回答し、
 
            「 うまいことをやってのけてくれた、 我が輩は、 貴様を来月、陸軍中将に
 
             推挙しようと、考えておる、 まあ、 ここにかけて、 話しの中に入れ。」と、
 
            宇垣 一成 陸軍中将の前に招き入れたのです。
 
 
 
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            当時は、陸軍士官学校を卒業して、 陸軍大学を卒業しても、 地方の
 
          どこかの連隊長を1年程度務めて、陸軍大佐で、予備役になるのが通例だったのです。
 
          中将などに進級する人は、 長州閥や、薩摩閥の派閥の重鎮に、引き立てて
 
          もらわないと、絶対なれなかったのです。
 
          つまり,人様がやらないことをしていかないと、 将官への進級は難しかったのです。
 
          田中 義一 陸軍大将は、「 なあーー、宇垣、 この高柳は、役に立つ男だ。」
 
          と、 宇垣 一成陸軍中将に、 高柳 陸軍少将を紹介したのでした。
 
 
 
 
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         高柳 保太郎 陸軍少将が、ウラジオストックから、栃木の連隊の倉庫に搬入した
 
         のは、 シベリア共和国の首都、オムスクの銀行の地下に保管してあった、ロシア皇帝
 
         の金塊だったのです。
 
         田中 義一 陸軍大将は、 一旦、この金塊を、東亜研究会という、陸軍の秘密資金
 
         を管理するダミー会社に入れて、 隠した後、 当時の 与党、政友会の総裁、 
 
         高橋 是清 議員に、当時のお金で 300万円を渡して、 政友会を、自分の傘下に
 
         しようと、工作を開始するのです。 
 
 
 
 
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           つまり、 自身は、選挙のない、貴族院議員に、陸軍から横滑りし、 陸軍の
 
           長州閥を宇垣 一成 陸軍中将を代理人にして運営し、 自らは、 与党、政友会
 
           の総裁に納まって、 党内に、現金をばらまいて、懐柔していき、みずからが、
 
           内閣総理大臣になる為、 政友会をのっとろうと、 計画していたのです。
 
 
 
 
【次回に続く。】