第971回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第970話  強引な陸軍中将昇進の事、     2014年10月19日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
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   大正11年7月後半、 海軍では海軍中将の9割が、予備役にされ、早期退職となり、
 
本省派と呼ばれる主導権を持つ、 山本 権兵衛 海軍大将の一派と、艦隊派と呼ばれる、
 
 
 
 
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                   【 当時の陸軍大臣   山梨 半造 陸軍大将  】
 
 
海上勤務の将官達と、 火花が散っていた頃、 陸軍大臣、 山梨 半造 陸軍大将は、
 
陸軍内の長州閥の総帥 田中 義一 陸軍大将から、 陸軍参謀本部附の高柳 保太郎
 
陸軍少将を進級させ、 陸軍中将にするよう、 圧力をかけられ、 考え混んでいたのです。
 
 
 
 
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       加藤 友三郎 海軍大臣 兼 内閣総理大臣が、なんという、顔をするかーーー、
 
       また、 陸軍内の 薩摩閥の重鎮、 上原 勇作 陸軍元帥が、なんというかーー、
 
       軍縮が叫ばれ、 海軍の将官が、大量に退職に追い込まれている昨今、 新たに陸軍
 
       中将を進級させるとなると、 時節柄、もめ事に発展することは、わかっていたからです。
 
 
 
 
 
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        田中 義一 陸軍大将の申し入れは、「 陸軍が、シベリア出兵をして、功績があった
 
        将校には、 それなりの昇進があってしかるべきで、 高柳 陸軍少将は、浦塩特務
 
        機関長として、 シベリア共和国の工作など、多方面で活躍し、 その後、浦塩派遣軍
 
 
 
 
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        参謀長に任じられ、 作戦指導にあたり、多いに活躍したというのが、推薦の理由で
 
        あったわけです。
 
 
 
 
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             【  陸軍の薩摩閥の重鎮 陸軍参謀総長 上原 勇作 陸軍元帥 】
 
 
           心配していた 陸軍参謀総長の上原 勇作 元帥は、 長州閥と対立しては、
 
           身のために良くないと考え、 表面上は同調し、 裏では、 なんとかして、
 
           これを利用して、 田中 義一 陸軍大将の失脚に持っていこうと、策略を
 
           めぐらし始めたのです。
 
 
 
 
 
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                      【  大正時代後期の陸軍参謀本部 】
 
 
           そして、 配下の息のかかった、陸軍参謀本部内の憲兵隊に、内密に、高柳
 
          保太郎 陸軍少将と、 田中 義一 陸軍大将の周辺を、内偵するよう、指示を出し、
 
          これが、一騒動に発展していくのです。
 
          人生、 「酒と女には、用心せよ。」という言葉がありますが、絵に描いたような
 
          出来事に発展していくのです。
 
 
【次回に続く。】