第972回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第971話 陸軍恩賜のたばこ事件の事。 2014年10月20日 月曜日の投稿です。
大正11年7月に、 陸軍の長州閥の総帥、田中 義一 陸軍大将が、 高柳 保太郎 陸軍少将
を陸軍中将に推挙し、圧力を加えて、 強引に物事を進めていったというお話は紹介したのですが、
間が開きますと、 全体の流れがわかりにくいので、 少し時間を進めて、実際のお話を紹介します。
約半月後の、大正11年8月15日の盆明けに、陸軍省から、 「 任 陸軍中将に任ず。」の
辞令が発令たのです。
軍縮が叫ばれ、 勝ち戦でもなく、撤退が始まったシベリア出兵の中での出来事でした。
社会一般では、 高柳 保太郎という、名前は、あまり知られてなかったというか、 大きな武勲も
なかったので、あまり新聞などにも取り上げられることもなく、「 今度の陸軍中将はどないな
人やねん。」 と言うのが、世間での評判であったのです。
ところが、実際は、 シベリア共和国対策の スパイ組織を隠密に統轄し、 浦塩特務機関、
オムスク特務機関設立、 日露戦争での、明石機関なみの、 水面下の工作を繰り広げ
隠密作戦で多くの功績のあった軍人でした。
又、陸軍参謀本部の中では、1番のロシア通で知られ、 語学堪能で、知られた存在で
あったのです。
予備役になる人が多く、 一般の士官については、 少佐、中佐で予備役になって終わる人が、
ほとんどで、 一部の人が陸軍大佐に進級して、 地方の連隊長を 1年程度勤めて、予備役に
なると言うのが、お決まりのコースであったのです。
大正11年8月18日の夜、 東京の赤坂の料亭で、「 高柳 保太郎 陸軍中将を祝う会。」が
開かれまして、 存じ寄りの陸軍将校を招いて、祝賀の席が催されたのです。
石川県から上京し、 陸軍士官学校を卒業し、 陸軍中将にやっとなれたという、 気の緩みというか、
みんなから、酌をされ、酒が普段より入って、 ほんの僅かな、隙が出来たのです。
高柳 閣下は、 酒が入り、酩酊していたのもあったのでしょうが、 たばこを吸おうと、ポケットから
宮城で、 恩賜 でいただいた、菊の御紋がはいった、たばこを取り出し、 火をつけようとすると、
一人の酌をしていた、芸者が、 マッチに火をつけて、 そっと、たばこに火をつけたのです。
「 おうーーー、貴様、いやーーーすまんなーーー。」と、 上機嫌で、 よった赤い顔で、
恩賜のたばこを吹かしたのです。
「 私も、閣下、すいたいわーーー。」と、言い寄られ、「 おうーー、そうかそうか、 よし、
貴様にも、好きなだけやろう。」と,言って、 酔ったこともあったのでしょうが、そばの酌を
していた、芸者に、恩賜のたばこを渡してしまったのです。
その日の祝賀会は、何事もなく終わり、 翌日、酔いが醒めて、 気がつくと、宮城
【現在の皇居の事 】でいただいた、恩賜のたばこがないことに気がつき、 赤坂の
料亭に取り戻しに行ったのですが、 その芸者曰く、「 午前中、 お金を包んできて、
申し訳ないけれども、閣下に頼まれたという人が、 これ、 こんなに、大金をくれて、
菊の御紋のたばこを引き取られて行かれました。」と、 こういう口上で、 それを聞いた
高柳 閣下は、「なに、 しまった、 やられた。」と、 後悔したのです。
数日後、 陸軍省に新聞記者が大挙して、押し寄せる騒動になったというのが、
「 摂政殿下から、恩賜された、 菊の御紋入りのたばこを、 芸者にばらまいた、
不埒な、陸軍中将。」という、見出しで、 新聞がすられて、 頼みもしないのに、
全国に配られていったのです。
当然、 神奈川県の大磯の、田中 義一 陸軍大将のお宅にも、配られて、その記事を
見た田中 義一 陸軍大将は、 みけんにしわを寄せて、「 なんと、 まずいことになった。」
と、 つぶやいたのでした。
陸軍、恩賜のたばこ事件の始まりであったのです。
【次回に続く。】