第975回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第974話  海軍兵学校 宮島の包ヶ浦の事。  2014年10月23日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   大正11年7月後半、東京で、いろんなもめ事が起こっている最中、 ちょうど7月の終わり
 
頃でしたか、自主免官の募集があって、 数日しまして、 生徒全員で 幕営 【まくえい】に行く事
 
になったのです。
 
 当時、2号生徒と、私達3号生徒は、別行動になりまして、 うるさい気を使う先輩達と別行動と
 
聞くに及び、ずいぶん嬉しく感じたのです。
 
 
 
 
 
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    ところで、「幕営とは、なんやねん。」と、 問われますと、 わかりやすく言えば、戦後で言えば
 
キャンプに行くと言えば、わかりやすいでしょうか、 2号生徒は 随分遠いのですが今治の向こうの
 
 小部湾という場所で、幕営するそうで、 私達3号生徒は、すぐ近くの宮島の包ヶ浦 【かねがうら】と
 
いう砂浜に、行く事になったのです。
 
 
 
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       当時、「 この暑い中、どこにつれていかれるんや。」と、考えていると、 同じ分隊
 
       生徒が、「 おい、 一週間、 幕営で、 授業がないらしい、 現地で海水浴だ。」
 
       などというものですから、「 それは、ほんまかいな。」と、 私は、急に元気が出てきまし
 
       て、 監事殿の指示に従い、 監事附の曹長の指図で、ランチの準備や、積み込みの
 
       作業を行ったのです。
 
 
 
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           宮島の包ヶ浦という場所は、 江田内から、津久茂水道を通過して、宮島方面に
 
           進路を取ると、 島の北側、進行方向、左側に、 長い砂浜がありまして、
 
            ここの砂浜で、 陣幕を張りまして、 幕営 するわけです。
 
 
 
 
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           みんな、暑い中の、校内清掃や、授業から解放され、 海水浴が楽しめると
 
           聞いて、上機嫌でランチに乗り込み、 江田内を出港したのでした。
 
 
 
【次回に続く。】