第976回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正11年7月29日の土曜日、本来でしたら校内大掃除の日なのですが、私達は、幕営【まくえい】
に出発するため、指定のランチに荷物を指示通り積みまして、 出港の準備をしていたのです。
すると、一足早く、先輩方の2号生徒達は準備が出来たらしく、 少しばかりスイスイと、江田内に
こぎだしまして、縦従陣【縦一列に船を整えること】に隊列を整えると、監事附の命令で、 ランチと
ランチをロープでつなぎだしたのです。
私は、 それを見て、「 なんや、けったいな、ことしとるがな。」と、眺めていますと、
連絡用の機動船が近づいてきまして、 ロープを縦従陣の先頭のランチにぐっと、
結びまして、 牽引するように、曳航しだしたのです。
そうしますと、 18隻のランチが順番にすいすいと、江田内を動き出しまして、
先輩方の2号生徒のみなさんは、 オールを動かすこともなく、お客さん気分で、
随分快適そうでありました。
「 ええなーー、わてらも、 機動船にひっぱってもらおうやないか。」と、言いますと、
小部湾までであるからして、 ああいうふうにするのだ、 きさまらは、 なに、すく゜
そこの宮島の鳥居の北側だ、あっというまに着いてしまう、何事も訓練と思うべし。」と
言われ、 どうも、私達は手こぎのようでありました。
しばらくしますと、「 ピィーーーーーーーーーッ。」 と、笛が鳴りまして、大きな声で
「 全分隊用意はよいか。」 と、 かけ声がかかりまして、 しばらくすると、「 プププフッ
ププププッ、 プップップップーーーーーー。」 と、 出港の合図のラッパ信号が鳴りまして、
と笛の音に合わせて、ランチが出ていったのです。
少しばかり、涼しい風が吹く、江田内の海面を私達は、オールをこいで、宮島の
包ヶ浦の海岸を目指して出港したのです。
私は、「 なんや、手こぎかいな。」と、 内心不満であったのですが、 通常ですと
今頃は、兵学校で、厠【かわや 便所のこと】の掃除をしている頃でありまして、
考えようによっては、 「 えーーこっちゃ。」と思いまして、津久茂水道を通り抜け、
左に転舵して、 宮島にむかって、第1分隊から、縦従陣の陣形で、スイスイと
進んでいったのです。
しばらくしますと、後に陣取っている、監事附の曹長が、「 正面、目的地、
見ゆる。」と、大声で叫ぶので、 私達は必死にこいだのです。
なにしろ、私達は、進行方向の反対側を向いて、こいでいるので、前は見えない
のです。
いよいよ、幕営の宿営地の 宮島の包ヶ浦の砂浜に、上陸することになったのです。
【次回に続く。】