第983回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第982話  日本海軍  食事の時間の事。       2014年10月31日 金曜日投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
  魚を採種する実習が終わりますと、奇数番号の生徒には、夕方の糧食を作る実習が始まった
 
  のです。
 
 
 
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                       【  昭和初期の野外調理授業状況  】
                    
 
 
        大日本帝国 海軍は食事の時間が決まっていまして、それまでには、必ず
 
        調理して、配膳しないといけなかったのです。
 
        それは、それは、数が多いので、そろえるのは大変であったのです。
 
         ちょうど、 宮島の包ヶ浦の幕営の時期は、夏場でしたので、 夏季の日課は、
 
 
 
 
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                   【  海軍の調理は、人数が多いので大変であった。 】   
                 
 
         朝食が、朝の6時15分から、30分程度、
 
         昼食が、 午前11時45分から、 同 上、
 
         夕食は、 午後17時30分からと、決まっていたのです。
 
 
          みなさんは、こんなに早く、夕食を食べると、夜中にお腹がすくと思いますが、
 
          実は私達は、 これになれるまで、夜中の空腹に耐えるのが、大変でありました。
 
 
 
 
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           冬季日課の場合は、 朝食が午前7時から、30分程度、 
 
                         昼食が、午前11時45分から、
 
                         夕食が17時からと、決まっていたのです。
 
            勝手な行動を許されない、団体行動の軍隊という所では、夜にお腹が
 
            すいたので、冷蔵庫を開けて、なにかをつまみ食いするなどということは、
 
            出来ませんでしたし、 真水には特にやかましかったので、水も思う様に
 
            飲めなかったのです。
 
 
 
 
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                           【  炊飯の実習状況 】
 
 
 
           ちなみに、真水の補給は、 艦艇勤務の時は、一人当たりの配給が、三合程度
 
           とされていまして、 この中には、洗濯の水も入っていたのです。
 
           ほとんどないも同然の感じでありました。
 
           ふだんも、 演習と称して、 水の節約は、やかましい程度徹底されていたのです。
 
 
 
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                   【   地面を掘削して、 炊事の実習状況 】
 
                         
       陸軍の食事に比べて、海軍の食事は良かったなどと、こんなお話がありますが、
 
       聯合艦隊 麾下 4万5千人の将兵で、 一部の幹部が、良い食事を食べていただけで、
 
       「 軍人は質素をーーー云々。」と、いう標語の通り、 末端の人達は、多くの苦労を
 
       していたのです。
 
 
 
 
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           そして、私達は、 教官の指導で、 夕食の準備をすることになったのです。
 
           さてさて、 どんな食事が出来る事かと、 ずいぶん当時心配したのです。
 
 
 
【次回に続く。】