第1006回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1005話 兄、松三のみやげの事。       2014年11月23日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
          翌日、 ゆっくりと寝て、兄に続いて、お風呂に入り、くつろいで、しばらくすると、
 
         兄の松三は、弟や、妹達に、 東京で買った、小さな、かさばらない お土産を配り
 
         だしたのです。
 
         気配りの兄ですが、 帰省するのに,手荷物が かさばらないように、考えたお土産
 
         でした。
 
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
 
 
          妹達には、すごろくの紙を買ってきていて、 早速、弟の幸夫なども、一緒になって、
 
          サイコロをふって楽しんでいたようです。
 
           兄の松三が、「 わりゃ、實【みのる】おみゃーにゃーこれをのう、神田の本屋で
 
          特別に、こうてきたんじゃ、【 方言で、 買ってきたのですと言う意味】
 
          こういうもんが1番えーーおもーーてのーー、 わりぃーが、鉄道の中で、ひまじゃけえ
 
          一足先に、わしが目をとおしたけーーの。」と、 一冊の雑誌を私にくれたのです。 
 
 
 
 
イメージ 1
    
 
 
 
        自分は、  また、駅の売店で買って、自分が見た後の下げ渡しかと、思いつつ、
 
        見て見ると、 フランスの軍人と、飛行機が写っている写真が掲載され、飛行機の
 
        事が色々紹介されている、そういう雑誌でありました。
 
         妹がすごろくを、「 ねぇーーー、みのるにいちゃんも、一緒にやらん。」と、 誘いを
 
        受けたのですが、「うーーん、 今いそがしいけえ、又、あとのーーう。」と、 言い放ち、
 
        その雑誌を食い入るように見たのです。
 
         その紹介されていた内容は 仏國航空団 と言うタイトルで、大正8年3月に
 
         日本陸軍に、航空機の操縦を教育するために技術指導を行いに来日したのです。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
           日本陸軍では、フランス語が話せる人が、限られていて、砲兵学校の四宮 俊彦
 
           陸軍大尉が急遽、通訳となり、日本陸軍の航空隊の創設に非常に貢献されたのです。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
            フランスの教導団は、フォール大佐以下、47名の構成で、操縦訓練については
 
            各務原で行われ、 空中の射撃教育は、大正浜、 爆撃訓練は、三方ヶ原
 
 
 
 
イメージ 12
 
 
            偵察観測実習は、下志津、 航空機の制作、気球の操縦は、所沢で行われ
 
            発動機の分解整備は、 熱田で行われたのですが、 そういうことを紹介して
 
            あったのです。
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
           当時、人間が鳥のように、空を飛ぶというのは、みんな、考えても見なかったことで、
 
           新しい挑戦であるばかりでなく、 あこがれでもありました。
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
           文中には、陸軍さんが、 一般市民に、 飛行機を見せびらかしている写真も
 
           ありまして、 自分は、 身体の中から、マグマが吹き出るように、「 うーーん、
 
           これじゃ、 これからは、ひこうきじゃけぇ。」と、 1人で叫んだのです。
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
          みなさん、飛行機を機銃で撃つときは、 飛行機に狙いを定めて引き金を引いたのでは
 
          弾は当たらないのです。
 
 
 
イメージ 13
 
 
 
          戦後、予科練のひな鳥だった人が、 いかにも、撃墜して、武勲話を並べる
 
          人がいましたが、 すこし水を向けて、聞いてみると、 すぐ作り話であると
 
          わかるわけです。
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
 
           飛行機を射撃するときは、 飛行機が移動するであろう、位置を予測して、そこを
 
          射撃するのです。
 
          飛行機は高速で移動するので、 飛行機をねらって撃つと、 機銃の口から、
 
          弾が飛んでいく間に、 移動してしまい、なにもいない場所に、弾をばらまいて
 
          しまうわけです。
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
 
          自分が、英国の日本大使館附きの駐在武官で、ロンドンにいた時のお話ですが、
 
          イギリス空軍では、 パイロットに時間があれば、クレー射撃をさせていました。
 
          飛んでいくお皿を、 狙いこし と言って、 お皿が飛んで行くであろう場所を予測して
 
          引き金を引くわけです。
 
          上手なパイロットほど、 撃墜数の多いパイロットで、 射撃訓練には、ずいぶん
 
          有効な訓練方法であったのです。
 
 
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
          松三 兄さんが、「 わりゃ、實、 気に入ってくれたようじゃのう。」と、ニコニコ
 
          しながら語りかけてくるので、 自分は、「 もうちょっと、ようけ【 方言で たくさん
 
          と言う意味】 こうてきてくれりゃーえかったのに。」と、言うと、「 わりゃ、ぜーたく
 
          言うな、 それでのうても、荷物が重とーて、 あともう少しで、指がちぎれる
 
          ところじゃったわい。」と、 言うので、 2人で、ニコニコしながら、雑誌の
 
 
 
 
イメージ 10
 
 
 
       空中撮影写真を見て、 「 ぶちすげーのーー。 【方言で とても すごいと言う意味 】
 
       ワシも、そらとんでみたいのーーー。」と、 話したのでした。
 
       自分の大空への希望は、 ますます高まっていったのです。
 
 
 
【次回に続く。】