第1024回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1023話  宗教を利用して国民を煽動する事。   2014年12月11日木曜日の投稿です。
 
 
 
 
           
 
          
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        自分が、誕生前と幼児の頃発生した、 日清戦争とその後の日露戦争では、多くの
 
        将兵が戦死し、 戦後の映画で、旅順要塞の第3軍の乃木将軍の苦戦を描いた
 
        映画などを見て、 旅順の戦いのみが注目されていますが、その後の奉天
 
        決戦などでも、多くが戦死し、記録に残っている人、 吹き飛んで遺体がバラバラとなり、
 
 
 
 
 
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        行方不明扱いや、 その後の戦傷死の兵士を含めると、10万人程度が亡くなり、
 
        負傷者や、 重度の戦争障害者になった兵士をいれると、 それはそれはすごい数の
 
        人々や、家族が悲惨な思いをしたのです。
 
        当時、 それらの家族が、 警察署に押しかけたり、放火騒ぎなどの暴動が発生し、
 
        陸軍の部隊により、 武力鎮圧され、 報道は規制され、大正時代の政府は、試行錯誤
 
        の研究を重ね、ある結論に達したのです。
 
        それは、新しい天皇陛下を崇拝する宗教を作り、 人々に宣撫工作 【 せんぶこうさく
 
        諜報員、報道機関を通じて、意図的に情報操作する事 】をおこなって行ったのです。
 
 
 
 
 
 
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           靖国神社というのは、 戊辰戦争の戦闘で戦死した、 長州藩や、薩摩藩などの
 
           官軍の兵士を奉る神社であったのですが、 ここの神社の奉る範囲を拡大し、
 
           国のために戦死した人の国立墓園のような神社の位置ずけにして、
 
           国民に広く広報して行くとともに、 国民の多くが立腹していた、戦死者の遺骨を
 
           中国大陸の埋葬地から、 遺族の手元にと言う要求に対して、 御霊のみ合祀する
 
           という、陸軍の都合の良い話を広めていったのです。
 
           戦闘行動中の遺体の後送は、当時 遺体が腐敗したり、多くの手間暇が
 
           かかり、例外を除いて、断念されていたのです。
 
 
 
 
 
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            そしてどんどん全国に作られていったのが、乃木神社 【のぎじんじゃ】という
 
           神社でありました。
 
           これらは、文部省の指導で、学校の教科書にも載せられて、 明治時代の忠臣
 
           の見本として、楠木公の話とともに 幼児の頃からの天皇陛下にお仕えする見本
 
           として紹介されていったのです。
 
           乃木 希典 陸軍大将 一家は、 ご子息は2名とも日露戦争で戦死され、 
 
           乃木閣下も、 明治天皇崩御すると、殉死され、 ご婦人も、葬儀を
 
           すませた後、 自決されるという、痛ましい事件であったのですが、
 
 
 
 
 
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          天皇陛下にお仕えして、天皇陛下を、崇拝し、 国のためにすべてを捧げ、
 
          国のために死す、 報国の精神の模範として、ちょうど良い事件でありました。
 
          人々の不満を和らげるため、 山縣有朋侯爵などの指図で、 乃木神社
 
 
 
 
 
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           作られていき、乃木閣下を神様にして、 新しい神道というか、そういう陸軍の
 
           宗教活動に利用されていったのです。
 
           例えば、 息子が戦死されて、 紙切れだけで、遺骨が戻らず、国に対して
 
           不満に思っていても、 乃木家の様に、 2人いた息子は2人とも戦死しーー云々
 
           というような経緯を聞くと、 まだ我家は、良い方かと考えるようになっていったの
 
           です。
 
 
 
 
      
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             山縣有朋侯爵を中心とする、長州閥の軍人と、国会議員と官僚組織は、
 
             報道機関を利用して、天皇陛下を崇拝する事と、 国に対して奉仕し、
 
             身を犠牲にしていく、 報国の精神の重要性を宣伝し、 尋常小学校から
 
             教科書に載せて、 幼児の頃から教育を行うよう、文部省の役人を使って
 
             宣撫工作を実施していったのです。
 
             そういう、自分もその1人で、 学校の先生に小学生の頃から,毎日のように
 
             天皇陛下を崇拝し、 国のためにすべてを犠牲にして、尽くすことを指導されて
 
             いったのです。
 
             そして、十数年後、これらの政策は、 皇道 【こうどう】と呼ばれ、 国軍は、
 
             皇軍【こうぐん】と、 呼ばれるようになっていき、 その後の二 二六 事件に
 
             つながっていくのです。
 
 
 
          【次回に続く。】