第1025回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1024話 学校に入り込んできた陸軍の事。  2014年12月12日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
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      明治時代の後半に発生した、日清戦争と、日露戦争では、 多くの将兵が戦死し、
 
      多くの家族が路頭に迷う形となり、 日本政府の国庫も破綻状態となり、早期講和が
 
      伊藤 博文公などの根回しで、結ばれたため、日本は、1番条件の良いときに、戦争を
 
      終わらせ、 表面上は戦勝国として、西洋諸国に名前を売り、「 大日本帝国は強国。」
 
      という印象を植え付けたのですが、 もし、日本が朝鮮半島に上陸することなく、日本国内
 
      のみの統治であった場合、 朝鮮半島は、間違いなく明治の後半に、清か、 または、
 
      中国東北部軍閥が1時支配し、 その後、ロシア軍が侵入して、共産化していたと
 
      自分は考えています。
 
 
 
 
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           自分が在籍していた、日本海軍が強力な艦隊でなかった場合、北海道や、
 
           津軽半島、 新潟県直江津付近に上陸して、 日本に攻め込んできたでしょう。
 
           
           大正時代になると、徴兵制で兵隊に行き、 3年間勤務して、除隊した人達が、
 
           娑婆の世界に戻り、40年近く経過し、 その人達の世代が、社会の多くの
 
           部署を占めていくようになり、 軍国的な考えが、拡大していったのです。
 
 
 
 
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      当時の人達の中には、 陸軍に入営すると、 全員でひとつの事を行う、 集団行動が
 
      身につき、 身の回りの整理整頓、 言葉遣い、ーーなどなど、 厳しく教育され、
 
      社会人として良い勉強が出来たという人も多かったのです。
 
 
 
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           軍隊で生活していた中で、 車の運転を覚えたり、いろんな事を経験し、
 
           その後、 それを生かして、 生活する若者も多かったのです。
 
           当時の日本の若者に、 共通した礼儀作法、 周囲との協調関係、集団行動など、
 
           教育する場というか、機会でもあったのです。
 
 
 
 
 
 
 
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          反面、家で自由な暮らしを満喫していた若者は、これらの集団生活になじめず
 
          また、 自分勝手な行動は許されず、 ささいな事から、他の兵士にいじめを受け、
 
          自殺する兵士や、 逃走する兵士も多かったのが現実でありました。
 
 
 
 
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       そして、大正時代になって、 学校で、乃木将軍の忠臣話や、 楠木正成公の
 
       天皇家に尽くした美談など、 それから、音楽の時間には、軍歌を斉唱したりと、
 
       陸軍出身の教師や、保護者などのを巻き込んで、 軍事教練なる時間が出来て
 
       いったのです。
 
 
 
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        つまり、 防火演習程度なら、よいのかもしれませんが、 学校で人殺しの
 
        訓練が行われるようになっていったのです。
 
 
 
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        そして、それに反対する教員や、保護者は、「  非国民 。」と、呼ばれて、
 
        教員は退職に追い込まれ、 保護者は、 そう、わかりやすく言えば、はだしのゲン
 
        に出てくる、中岡のお父さんのように、町内から、村八分になっていったのです。
 
 
 
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       学校の中で、 軍隊の経験者の先生が、 陸軍の営内で身につけた、 敬礼の
 
        仕方や、 行進、 射撃姿勢、 銃剣術などを 大声で体操の授業のように、
 
        教えていくようになり、 その後、 昭和に入った後は、 学校に、軍人が常駐し、
 
       校長や、教頭に、 指図するようになっていったのです。
 
 
 
 
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           そして、 学校内で気に食わぬ事があると、 校長であろうが、教頭であろうが、
 
           大声で罵倒し、 平手打ちを加えるようになっていったのです。
 
           そして、意に添わない人を、排除していったのです。
 
 
 
 
     【次回に続く。】