第1039回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1038話  曲学阿世の学問の事。         2014年12月26日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
     
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      日本海軍の江田島海軍兵学校という場所は、 何事も、自分で行ってみて出来なければ
 
      意味がないという教育でありました。
 
      戦後の現在、 小学生、中学生、高校生の諸氏が、 今勉強していることが、実社会に出て
 
      どういうことに役に立つかという事がわかっていないというか、 教師が授業の初めに教えて
 
      いないのが実態であります。
 
      教える本人が、 実社会でどういうことに使用して、 どういう良いことがあるかを知らない
 
      教師が教えようというのですから、無理な話です。
 
 
 
 
 
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         そこで、国政の場で、文部省の事務方【当時の文部省の官僚のこと】に質問してみると、
 
         具体的な対策と、返事が返ってこないのです。
 
         学生も、なにのために勉強して、どういうことに使用するか、 そして役に立てていくか
 
         という教育が出来ていないため、実社会に出て、 使えないわけです。
 
         例えば、英語ですが、 全国の中学校、高等学校の英語の教師で、まともに日常会話
 
         が出来る者はほんの一握りです。
 
         外国人と日常会話も出来ぬ人が、英語の教師と称して、 授業をする。
 
         当然、問題を解くだけのそんな授業になってしまう。
 
         学問をするための、学問を 曲学阿世 【きょくがくあせ】と呼んで、 実にくだらない
 
         無駄な時間を費やすという表現をするのですが、我国の文部行政の欠陥で、
 
         日本の大きな弱点であります。
 
 
 
 
 
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          海軍兵学校の授業というのは、 実際使うことを学習していくのですが、実に、
 
        ロープの結び方から、 西洋料理の食事の作法まで多岐にわたり、とても3年間では
 
        学習するのが不可能と思われる程度の数の課目があったのです。
 
        自分達が在籍していた、 大正11年当時は、 3年履修制度であったのですが、
 
        その後、 後輩の話によると、 4年履修制度に変更になり、昭和20年まで続いて
 
        行く事になります。
 
        そのような、多くの課目がある中、 考査の問題は、ごく僅かであるのですが、
 
        問が、1問出来るか、出来ないかによって、 大きくハンモックナンバーが前後するのです。
 
 
 
 
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           海軍兵学校の生徒というのは、当時、各道府県で、 1番から5番以内の
 
           頭脳明晰、 運動神経抜群の生徒が、厳しい入学考査を経て、入学してくる
 
           わけです。
 
           みんな、ほとんどが、学校で1番であり、 周囲から天才、秀才扱いされていた
 
           人ばかりでありました。
 
           その300人の入学者の中で、一歩前に出るにはどうしたらよいか、周囲の生徒は、
 
           同期といっても、 1歳年上、2歳年上、3歳年上、それ以上の年上の生徒ばかりで
 
           あったのです。
 
           
 
 
 
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         自分はどうしたらよいか、考えたのです。
 
 
         全員、頭がひとつあり、 手が2本あり、 足が2本あり、指が20本あり、
 
         耳と目が2つずつあり、  条件は一緒なのです。
 
         他の生徒より、 良い成績を上げるにはどうしたらよいか、 当時は17歳でしたので、
 
         様子がわからず,試験範囲の教科書を全部暗記して、 考査に臨むしかないと考えた
 
         のです。
 
         しかし、1ヶ月もしないうちに、 その勉強方法は、大きな誤りであることに気がついた
 
         のです。
 
 
     【次回に続く。】