第1040回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1039話 海軍兵学校の考査【試験】の範囲の事。   2014年12月27日土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
       みなさんも経験されていると思いますが、戦後の中学校、高等学校の試験というのは、
 
 例外を除いて、 夏休み、冬休み、春休みの間の、それぞれの間に、 中間試験と期末試験
 
というものに別れていて、 数学などもそうですが、例外を除いて、試験範囲という物は、30ページ
 
から、40ページの教科書の中から、 代表的な単語や、虫食い問題や、応用問題が出題され、
 
それを解いて解答すれば良いのですが、 大学に進学しますと、単位制という制度があって、
 
 卒業までに、必修科目、任意必修 課目に別れていて、 それぞれの課目を取って、授業に
 
 出席して、試験を受けて、 単位を収得して行くのですが、 試験範囲は本一冊とか、試験の
 
範囲が広がっていくのです。
 
 
 
 
 
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      自分が江田島海軍兵学校に17歳で入学して、 考査【 戦後の試験の事】の範囲を
 
     丸暗記して、 考査に臨もうという、方法は挫折したのです
 
     「 貴様、根性がないやつだ。」と、 指摘を受けるかも知れませんが、時間が無かったのです。
 
     時間が無いというのはどういうことかと説明すると。
 
 
 
 
 
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         朝は、早朝5時過ぎから、訓練が始まり、夕方までみっちり授業や、行事、訓練が
 
         入り、夕方からは食事や入浴などを済ませて、温習時間【 戦後の自習時間の事】が
 
         2時間程度あるのですが、 先輩方の説教の時間であったり、制裁訓練の時間で
 
         あったりして,勉強がなかなか出来ないのです。
 
         21時30分以後は、兵学校の電気のブレーカーは、遮断され、 消灯となり、
 
         大正11年当時、 どこも電気がつかなくなるのです。
 
 
 
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         このような環境なので、 中学在学時【 戦後の高等学校在学時の事】のように、
 
        夜遅くまで、電気やランプをつけて勉強すると言う事が許されなかったのです。
 
        このような、環境で本を数冊すべてを暗記することは不可能で、また試験範囲を
 
        考えた場合、 あまりにも試験範囲が広くて不可能と悟ったのです。
 
        では、成績の良い生徒はどうしていたか、 どのような勉強方法で、良い点数を
 
        とっていたのか、 自分は近くに行くと、隠してしまうし、 聴いても、ライバルの生徒に
 
        教えてもくれないので、 遠くから観察していくことにしたのです。
 
 
 
         
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          鳥取県出身の 入江 壽直 生徒【 海軍大佐】は、 鳥取県の名門中学の 
 
          鳥取第1中学 【戦後の高校のこと】の卒業で、 絶えず成績がクラストップという
 
          秀才で、自分がなにをやってもかなわない生徒でありました。
 
          入江生徒は、瞬時にして、山を張る才能のある生徒でありました。
 
 
 
 
          
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                 【  山本 五十六 海軍元帥    海軍少将時代 】
 
 
 
 
       入江生徒とよく似たタイプの人としては、山本五十六元帥が、山を張るのが上手で、
 
       ポーカーなどをされましても、 将棋を指されましても、 何をしても、 おおよその予想を
 
       つけるのが上手な人でありました。
 
       元帥も、兵学校をたしか、次席か、それ前後で卒業されたそうですが、 どのような
 
       問題が出題されるのか、 おおよその予想を立てて、 その部分だけよく覚えておくのです。
 
       よく出そうな部分というのは、 その教科書の代表的な部分を抽出して、 要領よく
 
       勉強しておくわけです。
 
       そういうことを、 当時17歳で、 最年少であった自分は、 年上の優秀な生徒を
 
       模範として、試行錯誤の勉強方法を試していくことになったのです。
 
 
 
  【次回に続く。】