第1063回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1062話  日本海軍の初めての艦上攻撃機の製造の事。  2015年1月19日月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
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          自分が幼児の頃戦争が行われた、日本と、ロシアとの海戦での戦訓は、
 
         我帝国海軍が、 敵の艦艇に砲撃を加え、 炎上させてもなかなか、沈没に至らず、
 
         沈みにくい艦艇であって、 火災が鎮火した後、 日本側が念入りに調査を行って
 
         データーの採取が行われたのです。
 
 
 
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           日本海軍では、 イギリスから輸入した、 軍艦の大砲が、どの程度威力を
 
           発揮し、 軍艦ですから、 限られた 砲弾、火薬で、 いかに無駄がなく、
 
           相手を沈没せしめるかという研究が行われたのです。
 
 
 
 
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            喫水線より、 上部を砲撃しても、炎上をして、戦闘能力が低下するまで、相手も
 
            反撃して砲撃してくるわけで、  何とかして、一撃で、 相手を沈めることが
 
            出来ないかという話になっていったのです。
 
 
 
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            1つの方法は、 相手より、大口径の射程の長い大砲で、 相手の射程外から
 
            射撃して、 鉄鋼弾で相手の分厚い装甲を貫通させ、 内部に砲弾をめり込ませ
 
 
 
 
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            時限発火で、 内部で大爆発を起こして、 敵艦の弾薬庫を誘爆させて撃沈
 
            しようという構想と、  後に、 この考え方は、日本の大和や、武蔵の建造に
 
            採用されていきます。
 
 
 
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                       つまり、 大艦巨砲主義という考えです。
 
 
 
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            もう一つは何かというと、 砲塔の砲身を水平にして、 敵艦の側面の喫水線を
 
            砲撃して、 穴を開けて、 進水させて撃沈しようという構想で、 この場合、
 
            射程距離が短くなってしまい、 当然、相手も砲撃してくるわけですから、
 
 
 
 
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           当然、相打ちとなり、大きな被害が予想されたのです。
 
           
           そこで、注目されたのが、 日本の慶応時代にイギリス人の考えた魚雷という
 
           兵器ですと、 無人兵器の元祖のような兵器ですが、 トルコ海軍の軍艦を
 
           撃沈するなど、 衝撃が世界に伝播し、 日本海軍も2種類の魚雷を大金を
 
           はたいて、購入していったのです。
 
 
 
 
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           明治時代の魚雷というのは、 速度も遅く、 航続距離も短く 使い物に
 
           ならなかったというか、 使用するまでに、水雷艇で 随分近くまで接近しなければ
 
           使用出来ず、 日中に、敵艦に接近すると、 射撃の的になるような物で、
 
           日本海軍では、 夜間、 接近し、夜戦の兵器として使用していたのです。
 
            ところが、この魚雷という兵器、 当時砲弾ですと、多くの砲撃を加える必要が
 
           あったのですが、  なんと、 1本の魚雷で、 敵艦を沈める事が出来たのです。
 
 
 
 
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           日本海軍では、 当時 若宮 という水上機母艦があったのですが、登載した
 
           モーリスファルマン 水上機が、偵察や、 初歩的なダイナマイトによる
 
           ドイツ軍陣地の爆撃などで活躍し、 航空機を改良して、 魚雷を登載し、
 
           日中、 空から、 高速で敵艦の進行方向に転進し、 水雷艇のように、
 
           魚雷を発射して、 撃沈できないかという研究が行われるようになったのです。
 
           そして、 その研究は、航空機から、 どの程度の魚雷を登載し、 どのような
 
           性能なら、 効果を発揮できるのか、 また、 高高度から、 爆弾を登載して
 
           投下した場合、 目標の軍艦にどのような効果があって、 致命傷を与える
 
           事が出来るのかという、研究が始まったのです。
 
 
 
 
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                  【  三菱財閥の娘婿  加藤 高明  元内閣総理大臣。】
 
 
 
           海軍内で そう言う研究が始まったという、 そう言う情報を入手した、 三菱財閥
 
           実質的な オーナーの 加藤 高明 貴族院議員は、 金儲けの種にしようと、
 
           動き出したのでした。
 
           大正7年 自分が広島第1中学の生徒の頃、 つまり シベリア出兵の物資特需の
 
           最中で、 彼も、航空機の時代がいずれ到来すると見抜いて、 航空機を商売に
 
           していった先見性のある商売人の一人でありました。
 
 
 
       【次回に続く。】