第1069回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1068話  世界で初めての航空母艦への着艦の事。  2015年1月25日日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
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      大正12年の1月に、特務艦 鳳翔 【ほうしょう】の飛行甲板に着艦出来たら、
 
       海軍省から1万5千円【現在の価値にすると約4千万円前後】の賞金が用意された
 
     のですが、だれも無理なスタントと考えて、陸軍、海軍ともに志願する人がいなかった
 
     のです。
 
 
 
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     それは仕方のないことでもあったのです。
 
     というのは、日本海軍の場合、本格的な飛行講習が始まったのが大正10年からであり
 
     まして、まだ素人パイロットの集合体であったのです。  
 
     大正12年の2月になって、 イギリス軍のウイリアムジョルダン 大尉が、志願して、
 
     この着艦スタントに挑戦することになったのです。
 
 
 
 
 
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     無謀な挑戦ではなく、 ある飛行理論に元図いて、 その条件を極力日本海軍が実現し
 
     それに合わせて、着艦実験を行うという物でありました。
 
     それはどういうことかというと、 海の風をブレーキにしようという考えであったのです。
 
     
 
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     まず、横須賀軍港を出港した、特務艦 鳳翔は、 猿島沖合で、転進し、風上に向かって
 
     両舷全速で、速力23ノット前後で航行し、ジョルダン大尉の飛行機を発艦させた後、
 
     そのまま全速で航行を続けるわけです。
 
     そうすると、 海風が、飛行甲板の上に艦首から艦尾に強い風が吹くのですが、
 
     これを、飛行機の着艦時のブレーキにしようという考えであったのです。
 
 
 
 
 
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     風下から、 低空で侵入し、手前1万メートルから低速進入し、失速ぎりぎりまで速度を
 
     落として、計画的に、 鳳翔の艦尾の飛行甲板の上に飛行機を着陸させ、ハーフで
 
     ブレーキをかけて、 速度を落として、 その後ブレーキロックするというアイディアであり
 
     ました。
 
     みなさんも、自転車や、自動車で、ブレーキをかけるときに、スピードが出た状態で
 
     ブレーキをいっぱいに踏んでめいいっぱい、ブレーキをかけて、タイヤをロックすると
 
     制動距離がタイヤが煙を吐いて止まるのに100メートルかかるとします。
 
     これが、 1度半分程度ブレーキをかけて、ほんの数秒、 速度を落として、それから
 
     ブレーキをロックして、停車すると、制動距離が 50メートルくらいの半分程度と短くて
 
     済むのです。
 
     上手なブレーキのかけ方は、 特に高速道路などではそうですが、 ハーフブレーキを
 
     実行すると、いざというときは、短い距離で停車させることが可能なのです。
 
 
 
 
 
 
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       当日の実験で使用されたのは、出来たばかりの10式艦上戦闘機で、 これで
 
       鳳翔の飛行甲板に着艦する実験が行われたのです。
 
       大正12年2月22日 いよいよ世界で初めての 艦船への飛行甲板への着艦
 
       実験が始まったのです。
 
       日本海軍では、志願者がおらず、 イギリス軍のお手並み拝見となったわけです。
 
 
 
 
 
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              まだ世界に、航空母艦という、軍事用語がない頃の出来事でありました。
 
 
 
        【次回に続く。】