第1091回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1090話 海軍兵学校の航空機元年の事。   2015年2月16日 月曜日の投稿です。








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     淵田 美津雄 氏を乗せた、海軍航空隊の ビッカース バイキング飛行艇は、津久茂


 水道の方向から、また、江田内の海に着水し、 「  バウーーーーゥーーーーーーーン。」と


 すさまじい爆音を立てながら、 兵学校の桟橋に近づいてきたのです。





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   【  後に、山本五十六 聯合艦隊司令長官の航空参謀を勤める 樋端 久利雄 生徒 】
              



 自分と同じ分隊で、 一期上の先輩の 樋端 久利雄 生徒殿は、 ポカーーーンと、口を開けて

 
 ぼやーーーーっと しているような顔つきでありましたが、 以前紹介したように、 こういう表情を


 している時が、 樋端生徒の1番頭が回転している時で、 彼が後に航空の分野に進んでいき、


 海軍の中で足跡を残していくことになるのです。 





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この大正12年に行われた、 江田島での展示飛行は、 多くの生徒に衝撃を与え、 多くの航空屋を

産んでいく 出来事になっていったのです。

日本海軍で、 初めてドックファイトを行い、 初めての撃墜を記録した、 生田 乃木次 生徒も

同様でありますし、 飛行艇の爆音の音は、 それまで 戦艦勤務希望が多かった、海軍兵学校

新しい風を吹き込んだ行事であったのです。




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  ところで、当日自分は間近に、バイキング飛行艇なる物を初めて見学したのて゛ありますが、

  昭和になって登場する、 九七式大艇や、二式大艇と比較すると、大正時代の飛行艇は、

  随分小ぶりで、 性能も低い物でありましたが、当時印象に残ったのが、可能性が感じられた

  というか、 この飛行艇を上手に運用すると、 非常に多くの事が可能になると当時考えたのです。






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        英国海軍などでも、戦艦に飛行艇を搭載して、索敵哨戒で使用して、 多くの

       作戦に参加していくことになるのですが、 翼に 爆弾を搭載すると、 地上を爆撃したり

       艦船の攻撃も可能になり、  魚雷を搭載すれば、 空飛ぶ魚雷艇となるわけです。

       比較的、 当時の複葉機とは違い、航続距離が非常に長く、移動手段としても実に

       よい物でありました。




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          例えば、 呉から横須賀に移動するのでも、 陸上に上がって、鉄道で移動すると

         随分時間がかかるわけですが、 こう言う飛行艇ですと、 艦艇から、飛行艇

         飛び乗って、 数時間の飛行で、 その日のうちに、すぐ横須賀沖の艦艇に到着して

         しまうのです。

         
          ところが、軍隊という所は、 なかなか希望通りの職種に就けないというか、

         なかなか、兵学校を卒業しても、 航空の分野に進むことが出来なかったのです。

         
         自分が、 霞ヶ浦航空隊に転勤になるのは、昭和になって、数年経ってからで、

         
         それがよかったのか、悪かったのか、 随分遠回りをすることになっていくのです。


         そのようなわけで、 周囲の同期の生徒や、 先輩生徒の中で、1番速く空を

         飛んだ生徒というのは、 淵田 美津雄氏でありました。





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          いままで、 戦艦の話をさせると、関西弁で面白い話をしていたのですが、

        この日を境に、 「  これからは、飛行機の時代やがな。」と、 言うようになっていった

       
        大正12年の出来事の紹介でありました。



        【次回に続く。】