第1094回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1093話  高松宮殿下の御学友の事。   2015年2月19日 木曜日の投稿です。








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      大正12年2月24日の土曜日、 よく晴れた日の午後の たしか、1330時から、


   海軍兵学校分隊の対抗の射撃大会があったのです。


    兵学校のお決まりのパターンで、 各分隊員の射撃の合計点がどん尻の分隊は、


    制裁訓練というのがあって、 みんな、 そういうことにならないように、気合いを入れて


    射撃大会に臨んだのです。


    



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       高松宮殿下は、 かっけの病状が、比較的調子が良かったようで、 西村二等軍医

       の付き添いで、 第12分隊の一員として、 愛銃を持参されて競技に臨まれたのです。

       殿下の周囲には、 前任の長澤 直太郎 教頭兼、監事長が自ら選任された、御学友

       という生徒が周囲を固めていて、 粗相がないように、射撃大会が行われたのです。

       自分は、 高松宮殿下と同い年でありましたか、 広島県の加計の山中の出身では

       お呼びがかからず、  基本的に、 学習院の出身者、および、 学業が優秀で、

   
       気配りのきく生徒が選任され、それは御学友に選ばれるというのは、当時は名誉な

       事であったのです。

       ただし,御学友と言っても、 表面上のおつきあいで、 殿様と、小姓のような関係で

       あったそうです。



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       御学友で 水練の達者であった、末国生徒の話を、昭和になって聞いたのですが、

       高松宮殿下の本当のお友達というのは、 西村 文雄 二等軍医と、 佃 定雄 生徒

       だったそうで、 射撃大会の当日も、両脇には紹介した2名が、後に同伴した状態で

       あったようです。
   
     
       
         
   



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           当日の射撃大会の内容というのは、 伏せ撃ち 5発、 膝撃ち 5発で、


           各分隊士 が射撃をして 競う形で行われ、 みんな、 息きを殺して、

            静かに引き金を引いたのですが、 高松宮殿下は、 伏せ撃ち姿勢で27点

            膝撃ち姿勢での射撃で、26点の高得点を取られたのです。



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              これらの成績には、 周囲から、「 さすがは皇族。」と、 感心すること


             しきりであったのです。


          【次回に続く。】