第1096回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1095話  呉火薬試験所 見学会の事。   2015年2月21日 土曜日の投稿です。





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    大正12年2月26日月曜日の早朝、 随分冷え込んだ朝でありましたが、 天候は「 よーそろー。」


で、 良いお天気でしたが、 朝の訓示で、 第52期の生徒は、 呉に転進命令が出たのです。


以前紹介したように、軍隊という所は、 直前まで何も知らされず、 予定も一部の教官のみが知る所で


自分達は、 ただ、ただ、 命令に従い、行動するのみでありました。




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        実は当時、 3月初旬に、学力考査 【  戦後の期末試験の事】を控え、 自分は


       持病というか、 性格なのですが、 ずいぶん考査の心配で、イライラしていたのです。

       このような時期に、 呉なんかに 遠出するよりは、勉強の時間にしてもらいたいと

       言うのが本音であったのですが、 そのような事、 教官や、監事に進言すると、抗命罪

       という、軍人の中では行ってはならない 犯罪で銃殺刑になるので、 そんなことは言えず

       
        命令通り、行動するしかなかったのです。



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        ところで、 自分達が訪れる予定の 広島県呉市 という要塞地帯は、戦前は、


       呉鎮守府が置かれ、 日本海軍の拠点であるとともに、 南東 側に、 呉海軍工廠という

       大きな造船所があったのです、 当日の転進先は、 海軍工廠でありました。




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        戦後のみなさんに、海軍工廠【 かいぐんこうしょう】とはなにかと、説明しますと、


      簡単に要約すると、 海軍の艦船、航空機、各種兵器の開発、製造を行う軍需工場で

      ありました。

      


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         呉の駅を降りると、 右の東側に進み、 右の鉄道の高架下を通り、半島に突き出た


        海岸沿いが、 呉鎮守府、 呉海軍工廠、 呉の軍港と続いていて、 当時は写真撮影は


        厳禁で、 厳しい規制と統制が行われていたのです。




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        一言で、軍艦の建造と言いますと、 造船という 文字が浮かぶのでありますが、


        実は、総合産業で、 精鐵、 加工、 造機 【ぞうき】 造機というのは、船のエンジンを


       造る事で、 そう言う工場や、大砲、 火薬など いろんな設備が集まっていたのです。 



        そのほかに、 火薬を製造、充填、研究開発する、 火薬廠【かやくしょう】。


        それから、 石炭の採掘、 石油の精製する、 燃料廠【ねんりょうしょう】。  

        
        軍服、保存食の製造する、衣糧廠【いりょうしょう】。

        医薬品、 医療機器製造を行う、 療品廠 【 りょうひんしょう】 という組織があって、

        
        このような、工場というか、研究所を併せ持った、 産業地帯であったのです。






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        そして、自分達は、 江田島の江田内を出発して、 津久茂水道を抜けて、吉浦沖


        を通過して、 呉の海軍工廠に上陸することになったのです。




       【  次回に続く。】