第5回、昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第4話 奈良県上牧村尋常小学校入学。       2012年2月6日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 自分は、明治43年4月7日に奈良県の上牧村尋常小学校に入学したのです。
 
ほとんど、記憶がないのですが、父親から、随分と父親の専門である書道と漢詩

中国文学を教え込まれたのです。
 
はじめは嫌々で、仕方がなかったのですが、海軍に入ってから、随分と役にたった

様に思います。
 
 

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この当時は、乃木将軍が、明治天皇の後を追って、殉死したため、新聞、書籍

で、乃木将軍が軍神として美化され、本屋で、乃木将軍の戦記などを読んで、

いつかは我も、陸軍軍人にならんとして、夢を持っていたのです。
 
父親に、何になりたいと聞かれ、陸軍大将と答えていたのも、このころと思います。

父親から、「陸軍大将になるには、陸軍士官学校に入学しないといけない。」と言

われ、勉強に力を入れるよう、毎日のように、薫陶を受けたのです。
 
自分も、陸軍将校目指して、勉強に自分からすすんで取り組むようになったのも

この時期だったと思います。
 
この頃の私のあだ名が、「たこ」でありました。
 
もともと、目がぱっちりしていて、大きく、ほっぺたが赤いのですが、教室で、学校

の先生に、あてら
 
れて、発言したり、失敗したりすると、顔が赤くなる事から、友人から、「ゆでだこ

みたいなやつや、たこ たこ 。」といわれ、たこが、自分の名前なってしまった。
 
挙げ句の果てには、学校の先生も、自分の事を、「おい、たこ、 おまえや。」と

呼ぶものですから、みんなから、たこと 当時あだ名で呼ばれていたのを記憶して

います。
 


【次回に続く。】