第10回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第9話 伊勢の観海流の水泳合宿に参加する事。

                            2012年2月12日日曜日投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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           【  大正時代当時の 伊勢の二見ヶ浦海岸の様子 】
 
 
 

   家に帰りまして、学校の行事で、伊勢の二見ヶ浦の水泳道場に参加する

話しをしますと、母親が、反対もせず、すんなり許可してくれたのです。、
 
翌日学校の担任の先生に、参加の申し込みをしたのですが、堀内のやつも

参加するそうで、「今度は負けへんぞ、 みとれや。」と思ったものです。
 
参加するにあたり、6尺程度のふんどしを用意するべし、と案内に書いてあった

ので、母に用意してもらい、夏の7月の暑い日だったと思いますが、奈良から、

山間地を越えて、三重県伊勢市に出て、随分歩くと、不断寺という、海岸近く

のお寺があり、ここが、自分たちの宿舎になったのです。
 
この寺から、少し歩くと海があり、みんなで、海を見て「すごいやないかー、

おおきいなー。」と大騒ぎしたのが記憶にあります。
 
海は、池と違い、大きな波があるので、どうしたものかと当時は大変不安で

あったのです。
 
 
 
 
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この我らの不断寺の宿舎に、二名の海軍士官が、短剣を腰からぶらげて、訪れ、

同宿するというのですが、堀内も、自分もみんな、2人の姿を見て、感激してしまい、

かっこよかったと感じたのです。
 
白い第2種と呼ばれる制服に、ボタンが七つもついていて、礼儀正しく、別室での

逗留であったのですが、いずれは、我が身もと思った物でした。
 
この2人も、住職に聞くと、我々と同じ、古式泳法の水泳道場に参加するという、

楽しみだと思ったのでした。
 
到着した夕方の頃、山本師範という人が寺に来て、「あー、あす、水泳道場に

参加される諸氏は、ふんどしに、よくわかるように、墨で、名前を書いて、出席

するように。」とお話があり、寺の硯を借りて、皆、自分のふんどしに、自分の

名前を書くことになったのです。

私か当時ほかの用事をしている間に、堀内のやつ、私のふんどしに、「多幸」と

当て字で、おおきく勝手に書きおって、「たこ、おまえのふんどしに、奉仕の精神で、

ついでにおまえの名前を書いてやった。」と言うものですから、見て見ると、当て字で

「多幸【たこ】」と書いてあるのです。
 
私は、「よけいなことをしおって、このどあほう。」と、腹をたてたのですが、ふんどしは

一枚しか持ってきていないので、後の祭りであったのです。
 
堀内に一発げんこつをお見舞いしようと追っかけたのですが、すばしっこくて、

捕まらない、寺の住職に、見つかって、「これ、しずかにしなさい。」と怒られてし

まったのです。
 
こんなふんどし、つけて、水泳道場に行けない、行くと必ず物の笑いになると

考えると、どうしようかと悩むのでありました。
 
 
 
【次回につづく】